その後、ようやく健康を取り戻した桓武天皇は、
これらの怪異から逃れるように、
まだ造営途中の長岡京への遷都を断行するのであった。
しかし、遷都の翌年再び事件が起こる。
桓武天皇の寵臣であり、藤原百川の甥でもある
藤原種継が何者かに暗殺されたのである。
犯人は、当時藤原氏と対立していた大伴一族。
そして、その後ろには皇太弟、早良親王の影が
・・・という噂がたった。
桓武天皇は、早良親王から皇太子の地位を剥奪し、
彼を幽閉した。早良親王糾弾の真の目的は、
やはり(自分の息子を天皇に・・・)という継承問題が
隠されていたと言われている。
幽閉された早良親王は、桓武天皇に抗議するため
10日あまりの絶食を行い、その後壮絶な最期を遂げた。
井上・他戸母子の怨霊から逃れた桓武天皇に、
今度は早良親王の怨霊が襲いかかる。
夫人の藤原旅子(百川の娘)の死を皮切りに、
妃の一人多治比真宗、そして翌年には生母である高野新笠、
そして更に翌年には皇后藤原乙牟漏(百川の姪)
、妃の坂上又子を亡くすのだ。
桓武天皇は、早良親王の霊を鎮めようとするが、
うまくいかず、遂に長岡京も捨て去り、
新しい都を造ることを決意するのだ。
怨霊の及ばぬ都、怨霊の呪いを完全に防御できる都・・・
桓武天皇は、その二つを満たすため「風水思想」に基いた
都を造り上げた。それが平安京、
すなわち
「京都」
だったのである。
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