●●●六道珍皇寺●●●

 八月の八日から10日までの間、「六道さん詣り」で賑わう。
ここでいう六道さんとは、
仏教の地獄・畜生・餓鬼・修羅・人間・極楽の六界のことである。
特に生ける者と死せる者の境界的な意味合いを持つ。
 平安時代に碩学で知られた学者「小野篁」が珍皇寺の井戸から
冥府かへ下ったと言われる。
また、10万億土の果てまで響き渡り、冥土の精霊を招き寄せると言われた
「珍皇寺の迎鐘」と呼ばれる鐘がある。
珍皇寺と冥界がつながっているという信仰は、
これらの伝説に基づいているのであろう。
 ここには篁堂と呼ばれる小さなお堂があり、中には弘法大使空海、
小野篁、そして閻魔大王の像が奉られている。



●●●珍皇寺の迎え鐘●●●

珍皇寺を開いた慶俊が、ある鐘を鋳たが、
遣唐使として中国に渡ることとなったため、
鐘を土の中に埋め、3年後に掘り出すよう命じて旅に出た。
しかし寺僧たちは待ちきれなかったのか、
2年目に掘り出し、鐘桜にかけた。
 唐の地で自作の鐘の音を聞いた慶俊は、
「3年埋めておけば、人が打たなくても、一人で鳴る霊鐘だったのに、
おしいことをしてくれたものだ」と、
嘆いたという話が残っている。
今では、冥界へ旅立った精霊を迎え入れる”合図”が”迎え鐘”であり、
その後送り出すのが”大文字五山送り火”である。
京都の夏のお盆の行事の一つといえる。



<閻魔大王>



●●●小野篁●●●

平安初期の宮廷官人で漢詩人・歌人でもあり、博識の秀才。
また武芸においても
類稀なる才能をみせたと言われる快人物。
 その彼が六道珍皇寺に、
閻魔大王と並んで鎮座している所以は?

 小野篁は、昼間は官人として働き、夜になると、
珍皇寺の裏庭にある井戸から冥府に降り、
閻魔大王の補佐官として働いていた、
という説が残っているのである。
 彼は他にも、六地蔵参りの創始者としても有名である。



    



┃鴨川┃┃八坂神社┃┃鳥辺野┃┃地主神社┃┃知恩院┃