「春や昔十五万石の城下哉」
子規の句にある松山は、今も俳句の都です。
松山では、町を歩けばいたるところに句碑があり、つられて一句ひねるとすぐに投函できる俳句ポストがあります。それもそのはず、この俳都にゆかりのある俳人としては、正岡子規、高浜虚子、中村草田男、石田波郷(はきょう)らのそうそうたる名が並びます。子規らの句会に参加していた漱石も「永き日やあくびうつして分れ行く」などの句を残しています。また、自由律俳句で知られる漂泊の俳人、種田山頭火(さんとうか)は晩年になってここ松山に定住しました。彼が暮らした一草庵には「濁れる水のながれつつ澄む」の句碑があります。これらの句を道連れに松山の町を散策してみるのはいかがでしょう。子規らの見た松山の空が目の前に広がりそうです。「松山や秋より高き天守閣」(子規)。 |