坊っちゃん列車坊っちゃんは松山に到着すると、まず汽車に乗ります。「マッチ箱のような汽車」で、「ごろごろと五分ばかり動いたと思ったら、もう降りなければならない」などと評します。 |
道後温泉がたいへん気に入った坊っちゃん。手拭いをさげて出かけては、人がいないのをいいことに十五畳ほどもある湯船で泳いで喜んでいました。ところがあるとき、「湯の中で泳ぐべからず」と貼り紙をされてしまいます。
ターナー島教頭の「赤シャツ」とその手下「のだいこ」に誘われて、釣りにでかけます。赤シャツは小さな島の松を見て、イギリスの風景画家ターナーの画にありそうだ、などと坊っちゃんにわからないことを言います。 |
|
愚陀仏庵松山中学の教師だった漱石が暮らす下宿先に、俳人の正岡子規が同居したことがあります。日清戦争の従軍記者だった子規は病気療養のために帰省していました。この下宿は、漱石の別名にちなんで「愚陀仏庵(ぐだぶつあん)」と呼ばれます。 |