Traditional Asia

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アジアの伝統音楽も他の地域のそれと同じように、 厳しい問題を多くかかえていると言ってよいでしょう。 まずそれらはステージ・ショーの要請に応えるように変質しつつあります。 伝統的、社会的文脈抜きに、観光客のために演じられるのです。 また、質がしばしば公のコンクールによって、 あるいは市場での売上に基づいて判断れば、 演奏される音楽やそれを演奏するミュージシャンに影響を与え、 様々な様式が画一化されます。そして、 アクロバティックな演奏技巧が個人の腕前の尺度となっていきます。 また、メディアへの適応のプロセスは、 固有な音楽にとっての社会的機能と対立します。 つまり、 スリランカのバイラのようにパーティで歌われるような 社会的内容あるいは風刺的内容をもつ音楽も、 即興的文化であったカプリソも、 スタジオでつくられ、テクノロジーに依存し、 同一商品として大量生産されれる必要にかられるということです。


私が恐れるのは、あと10年か15年もすると、
カセットがもっとも辺境の村にも普及し、
それとひきかえに地方独自の音楽が衰退して、
人々が粗雑な音楽に馴らされてしまうことである。
そのとき、人々は自分たちの文化を失ってしまうだろう。

わたしは感傷的になっているのではない。
もしローカルな文化が消え去れば、
世界全体の文化が、ひとつの相を失うことになる。
いかに小さな国であっても、われわれは、
歌う、伴奏する、詠ずる、拍子をとる
といったことに固有の様式を持っており、
世界文化に小さいながらも独自の貢献をしている。

ところが、われわれは組織の弱さや資金の欠乏から
独自生を失ってしまうかもしれない。
政府はナショナリズムに力を注いではいるが、
開発問題が浮上してくると、文化は後回しになる。
空腹を満たすことがまず第一であり、
農業、道路、工場への投資が終わった後で、
ようやく文か活動に回すカネを探るのだ。

これはほとんどの国で同じである。
-------------------- ( W・B・マクロルワ、スリランカ、1982年)


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