一人の人間によって音楽の優劣がつけられることはありません。
文化の脱国家領域化が進むなかで
彼の中に順位があろうともそれは本人の中で完結したものです。
また、集団によってもそれはなされません。
多数決によってその価値が決められるほど音楽は単純ではありませんし、
文化は本来個人に自由なものだからです。
私達が注意しなくてはならないこと、それは
それぞれの音楽が観光客へと向けられないことです。
つまり、閉鎖性を排除しながらも
私達は自分の音楽を安売りすべきではない。
そして、様々な潮流に流されず
私達は自分の音楽を獲得しなくてはなりません。
社会によってもたらされるBGMは、少しずつ満足感を与えながらも、
個々にとっては一瞬にして消え去っていくことでしょう。
自身によって選ばれた音楽*は、
それぞれの生きるテーマを明らかにし、
このテクノロジーによって果てしなく広げられた
世界という大海で、
舵となり、私達を導くことでしょう。
*音楽は本来選ぶものではないのでしょうが、
選択を通したものが今の私達との一番分かりやすい関係であり、
最も日常で行なわれる音楽との対話であると思います。
……ジェズアルドのマドリガルやバッハの受難曲が、
インドのシタールのメロディやアフリカの歌が……
人間の創造力と技術的進歩の証であると評価するばかりでなく、
なぜ人間の生存にとって不可欠なのか
それを理解することが必要だ。
今回の
「小さな人々の大きな音楽」
ロジャー・ウォリス、クリステル・マルム著
岩村沢也、大西貢司、保坂幸正、石川洋明、由谷裕哉訳
を参考にさせていただきました。
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