津村 喬 つむら・たかし

気効家・評論家。政治経済から食生活、健康まで、評論活動のテーマは幅広い。特に'64年、中国で気効の高い精神文化に触れて以来、その紹介を続けている。「関西気効協会」主宰。「賢治の学校」発起人。著書は「気効への道」「気脈のエコロジー」など多数。神戸では「癒しの学校」を主催しつつ、'95年の阪神・淡路大震災以降、地域復興のオーガナイザーとして活躍。被災者たちの発言の場として創刊された「1.17市民通信 神戸から」の編集主幹であり、自らの被災体験も「神戸 難民日誌」として上梓している。

sensoriumのスタッフが
津村 喬さんにお願いした理由

津村さんの神戸での活動

神戸癒しの学校
開校式で話し合う
本山第二小学校での出前気功
集まったのはボランティアばかりだが、楽しそう
(神戸 難民日誌より)

神戸の街を歩く

三宮歩道橋上にて
神戸市の中心、三宮。
被害の激しかった周囲の高層ビルには、未だ青いビニールがかけられている。
街を歩けば、そこら中に青いビニールを目にする。
神戸の壁(長田区)
戦前の建物に組み込まれていたコンクリートの壁は、震災に耐えて残った。
焼け跡だった周囲には、すでに仮設住宅が建っているが、墓標として「神戸の壁」を残そうという声が高まっている。

津村 喬さんに
日本をセンスしてもらおうと思った理由


 sensoriumの制作スタッフは、ほとんどが東京かその周で暮らしています。だから神戸・淡路の震災が起きたときに、現地にいた人間は誰もいませんでした。いうまでもなく皆がショックを受けたけれど(そして、何人かはその後、被災地に駆けつけたり、それぞれなりの方法で支援を行ったりしたけれど)、震災と震災が引き起こした影響について、リアルな感覚は持ちうべくもありませんでした。

 マスメディアも、それなりにがんばって報道に務めていたのだとは思います。けれども、やはり重点は「量」におかれがちで、声高な「べき論」が多く、「質」にこだわった記事やニュースは少なかった。たまにあっても大部分が「お涙頂戴もの」で、もちろん悲惨な話が大量に生じたのは事実でしょうが、リアリティがないままに涙さえ流していればいいのだろうか、という釈然としない思いが常につきまとっていました。

 昨年末に津村喬さんの話を聞いて、はじめて「神戸のリアル」に触れたような気がしました。津村さんは日々の活動を通じて、多くの人々と言葉を交わしている。そして津村さんが語ってくれた彼らの声からは、新聞やテレビからは感じられない、ぬるりとした生々しさが伝わってくる。市井の、無名の人の声を集めるという作業は、つとに永六輔さんが『大往生』などで行っています。津村さんに、「神戸の永さんになってくれませんか」と尋ねたら、クマのような温顔に微笑が浮かび、大きくうなずいてくれたのです。(sensorium スタッフ Oz and dolco)

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[「地」 変動体に生きる感性 by  竹村真一]
[「地」 神戸から世界へ by  津村 喬]


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