いささか唐突だが、この感覚はおそらく“弘法は筆を選ばず”の名書家として知られる弘法大師空海が、「文字」あるいは「書」というメディアを通して触れようとしていた世界にも通じているのではないか?

 空海は、その気宇壮大な名前そのままに、人間の言語以前の妙なる「聲」や「文字」が、この“空”なる宇宙に遍満していると説く。
 眼にみえる「文字」の情報空間の背後に、静的で恣意的な記号体系という枠組に納まりきらない、ダイナミックな生命情報の“海”のざわめきを感得する。

 そして、空海にとって「書」とは、いわば「文字」が生まれでる瞬間に立ち会うことによって、そうした文字以前の“生命の海”に触れてゆく行為だった。
 一文字一文字に内包された広大な宇宙に参入し、それを"sensitive" な筆の動きによって大胆に解き放ってゆくことを通じて、「文字」というものが本来持っているはずのもっと大きな可能性を「解発」してゆくための具体的な方法論だった。
 単なる“情報の記録/伝達手段”にとどまらない、エコロジカルな(あるいは“エコ・エステティック”な)世界認識のメディアとしての「文字」の可能性。