Oct. 15, 1996 Oct. 29, 1996

Art Watch Index - Oct. 22, 1996


【インゴ・ギュンター展《難民共和国》
at P3 art and environment】
 ………………● 四方幸子

【[ロンドン]
《リヴィング・ブリッジ》
なぜ、建築家はそれほどまでに橋をつくりたがるのか?】
 ………………● 毛利嘉孝


Art Watch Back Number Index



インゴ・ギュンター展
《難民共和国》

会場:
P3 art and environment
会期:
1996年
10月4日〜10月27日
開館時間:
11:00-19:00(毎週月曜日休館)
問い合わせ:
P3 art and environment
Tel.03-3353-6866
email: info@p3.org






難民共和国 / Refugee Republic
http://refugee.net/

P3 art and environment
http://www.p3.org/

インゴ・ギュンター展《難民共和国》
at P3 art and environment

●四方幸子



このプロジェクトは93年以来ギュンターが取り組んでいるもので、ロールスロイスのロゴをもじったロゴ「RR(Refugee Republic)」とともにTシャツやインターネットなど、多様なメディアを通して展開されてきたが、インスタレーションとしては初めての試みである。
  薄暗い空間の黒い床にはところどころ白いラインによる不定形のパターンが刻印されている。床上約90cmには赤い蛍光燈がつなげられ、時には単独に浮かびあがり不定形のラインを形成している。蛍光燈の表面には 「難民共和国」の声明文の断片が日英で書かれている。床のパターンは、世界地図から地上の国境線のみを浮上させたものであり、蛍光燈の配置はそれら国境を越える難民の流れを示していることに気づく。観客はその赤いエッジによる非均質な空間を自主的に漂い、文をランダムに読むことによって 「難民共和国」 への旅をすることになる。
  ギュンターは、「難民=資本」「難民は未来のアヴァンギャルドである」と断言する。世界中で増加しつづける(させられている)難民を排除されるものとしてではなく、有用な可能性を持つ〈資本〉として逆転させ、さらに自律的な彼らによるヴァーチュアルな共同体としての〈国家〉(=ポスト国家)を推進しようとするのである。

脱国家的〈国家〉をめざす《難民共和国》

このプロジェクトでは、「難民」「資本」「国家」などを未来へ向けた新たな意味において、個々人が再検討することが意図されている。難民とは、政治、経済、文化、戦争などによって強制的に自国やその文化から排除/離散された人々といえるが、私はここに、フィジカルのみならずメンタルな、また潜在的な難民性をも加えたい。つまり積極的に難民になること。フーコーの言い回しを借りるならば「人はみな難民にならなけらばならない」のであり、それは現状の世界における経済、政治などさまざまな規範・制度を客体化し、その機能をずらし逸脱し、ヴォイドとなるその可能性を自覚することである。生まれた瞬間からオートマティックに領属化されている、受動的なアイデンティフィケーションを自覚し、脱領属化、脱国家・ノマド化へ。難民をポジティヴな契機とすること。
  国家とは、その名のもとに国民を管理する権力を持っている。《難民共和国》においてめざされているのは、このような求心性から離れた脱国家的〈国家〉である。インターネットをはじめとするメディアテクノロジーの発達は、土地や民族、言語などという、ある意味で捏造され疑いなく信じられたてきた関係に頼らない、異種混淆的な共同体を開く可能性を持っている。

脱民族性の自覚から開かれうる未来

このプロジェクトには、たとえば 「難民共和国」に賛同する者は、誰でもインターネットによって参加することができる。しかし実際難民という立場を余儀なくされている人々の多くがインターネット・アクセスのできない状況にあることなどを考えると、両者のスタンスはかなり乖離しているのが事実である。
  米国在住のベトナム人映像作家・批評家であるトリン・ミンハは「人々が〈覗き見〉の困難な位置を自覚すること、というのもラブ・ストーリィ(また映画も同様)を消費するとき、私たちは〈究極の覗き見〉となっているから」と述べている(『へるめす』96/11)が、それはマスメディアを通してわたしたちが難民を見ることにおいても適用されるだろう。また難民においても、素朴な被害者意識やその反動としての領土の奪回へと陥ることなく、脱領土性、脱民族性を自覚することが求められるだろう。それぞれ置かれているスタンスが異なるからこそ、「難民共和国」を結節点とした未来が開かれうるのかもしれない。ギュンターはそれをあくまでアーティストとして実行するのである。

[しかた ゆきこ/美術批評]

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《リヴィング・ブリッジ》
会場:
Royal Academy of Arts
会期:
1996年
9月26日〜12月18日
開館時間
10時〜18時
問い合わせ:
Royal Academy of Arts
Piccadilly, W1
Tel.0171-439-7438
Pont-Neuf

ヘンリーIII世に仕えた建築家
ジャックI 世アンドルー・デュ・セルソーの ポン・ヌフのためのプロジェクト、1578年
Bibliotheque Nationale de France

Zaha Hadid

Zaha Hadid

コンペティションに出品された
ザハ・ハディドの作品模型
Collection Zaha Hadid

Garden Bridge

コンペティションに出品された
アントワーヌ・グランバックの 「ガーデン・ブリッジ」(モンタージュ)

Garden Bridge

「ガーデン・ブリッジ」の断面図
Collection Antoine Grumbach






Royal Academy of Arts, London
http://www.cs.mdx.ac.uk/
staffpages/mattjones/
RoyalA/raop.htm

Living Bridges
http://www.archinet.co.uk/
bridge/bridge_2.html

TWO WINNERS IN DESIGN COMPETITION FOR A NEW "OLD LONDON BRIDGE" http://www.archinet.co.uk/
bridge/bridge.html

blueprint libeskind
http://www.archinet.co.uk/
blueprint/lib.html

Richard Rogers : biography http://www.latech.edu/
tech/arch/projects/
pamn/pamnbio.html

[ロンドン]
《リヴィング・ブリッジ》
なぜ、建築家はそれほどまでに橋をつくりたがるのか?

●毛利嘉孝



再び盛りあがりつつあるテムズ川再開発プロジェクト

ロンドンでは、テムズ川の周辺の再開発の議論が再び騒々しい。しかし、ごく最近まで、80年代に脚光を浴びたドックランドを中心としたリバーサイド再開発は、90年を境に急速に冷え込んだイギリス経済環境のあおりを受け、計画の途中で頓挫してしまったかのように見えていた。実際、現在でもサリー、カナリーワーフを中心とするドックランド・エリアはかつて期待されていたような活況を呈しているとは言いがたいし、何よりも景気が回復しつつあるというわけではない。にもかかわらず、テムズ川にまつわる議論は一部で盛り上がっているのである。
  ピカデリーのそばのロイヤル・アカデミーで開催されている 《リヴィング・ブリッジ》は、こうした議論の余波を受けた展覧会。これは、タイトルの通り橋の展覧会なのだが、ただの川を横断する交通の結節点としての橋の寄せ集めではない。その上で住空間や商空間を持った「居住橋」を集めた展覧会である。会場の構成は、大きく2つのパートに分かれている。

実在する歴史的な居住橋とユートピア的な過去のプランで構成される展覧会

最初のパートは居住橋の歴史である。1176〜1209年にかけられたロンドン・ブリッジは、18世紀までにテムズ川にかかったロンドン市内の唯一の橋だったが、その当初から両脇に住・商空間を持った居住橋だった。中世から18世紀にかけて居住橋は少なくなかったのだが、交通テクノロジーの発達につれて、車両の通行をその一義的な目的とする橋がこうした居住橋にとってかわり、現存する居住橋はヨーロッパでもごくわずかになってしまった。また、この時代、数多くのユートピア的な居住橋のプロジェクトが多くの建築家によって夢想された。ここではそうした実現しなかった企画も見ることができる。なかでも、ジャック1世アンドルー・デュ・セルソーのポン・ヌフのためのプロジェクトは壮観。

今日、居住橋をテムズ川にかける意義はあるのか?
テムズ川居住橋のためのコンペティション

もうひとつのパートは、賛否両論の(いや、実際メディアを見る限り否の方が多いように思われる) テムズ川の新しくかけるという橋のコンペティション。与えられた課題は、テムズ川北岸のテンプル駅と南岸のロンドン・テレビジョン・センターに多目的型の住・商空間を含んだ複合型居住橋をつくるというもの。参加建築家は、ザハ・ハディド、アントワーヌ・グランバック、ブランソン・コーツ、フューチャー・システムズ、クリア/コール、ダニエル・リベスキンド、イアン・リッチーの8組。展覧会に先立った委員会審査では、ザハ・ハディド、アントワーヌ・グランバックの2名が優秀作となっているが、最終的には展覧会会期中に行なわれている一般投票によって決定される。
  このコンペティションの特徴は、仮に選ばれたとしても実際に橋ができる保証はどこにもないということ。だからこそ、居住橋なのである。公共団体が橋建設の予算捻出が不可能な現在、苦肉の策として橋自体が事業構造を持つ居住橋という形式が採用されているのだ。「プランはある。自治体との交渉も可能。もしこれを事業として可能だと思う企業体があれば、このプランを買ってください」ということなのである。しかし、これは、いくらなんでも虫がよすぎるのでは? だいたい、今でもすでに十分に橋がかかっているテムズ川にこれ以上橋が必要な理由はどこにもない。テムズ川の再開発計画の責任者の1人リチャード・ロジャーズを筆頭とする建築家たちは、手を変え品を変え橋の提案を行なってきた。しかし、一体何のために? 彼らの言い分では、2000年を迎えるにあたってロンドンのシンボルを作ることらしい。
  ロンドンのシンボルが、かつての大英帝国を支えた航海テクノロジーと密接に結びついたテムズ川の橋でなければならない、というのは理解はできる。イギリスにおいて建築家の手腕は、美術館や飛行場ではなく、テムズ川の橋で発揮されなければならないのかもしれない。しかし、それもまた建築という制度に対する、そして古きよきイギリスに対する、単なるノスタルジーなのではないだろうか? 評者は、出口でザハ・ハディドに1票を投じた。下に「ただしこの計画が現実化されないという前提で」とコメントをつけて。

[もうり よしたか/
カルチュラル・スタディーズ]
mouri@dircon.uk

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