「海や海洋施設にも“心”があるんじゃないかと思う」
でも行き止まりが多くて効率が悪く、
夜になると処理場の真っ赤な炎が見え、
人々を助けたいと思ったのはもちろんですが、
海に飛び込んで
経済効率最重視の物流機能施設づくりの、
ポートアイランドに行っても人影はまばらで、
歩きながら、涙が止まりませんでした。
もっと海を大切にしなければならない。
現在、私の会社は
海や施設にも「心」があるんではないか。
たしか、震災の2週間後に雪が降ったのですが、
冬は北風が吹くでしょう。
壊れた桟橋を撤去して、新しい桟橋をつくる
釣り船の船長や釣り人に聞くと、
想像するに、根固め石に隙間ができて
急な斜面の上に発展している街だから、
たとえば物流関係では、
むしろ、いま私が心配しているのは、
被災された方々のご心痛・ご苦労を措いて
これからもそれは、
神戸はひとつの典型ですが、山を削って海を埋め立て、
今回、ポートアイランドは液状化現象に見舞われましたが、
でも私は、逆に責任を持たなければいけないと思うから、
浚渫を行うと一時的に水が汚くなるけれど、
悪い面だけではないと信じたいですね。
それから、我々プロ・ダイバーについていえば、
また、この大震災と自分との関係性を
私は、「海人」つまり海に携わる人の
海と川、海と山、海と都市、
渋谷正信さんの「海に関する意見」
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[go to 渋谷正信 / 極寒の湿原に潜る]
Winter 1996
渋谷正信さんは、職業的なダイバーとして、世界中の海に潜ってきました。港湾施設の施工など、神戸の海との縁も深い。震災後すぐに現地に駆けつけ、その後1年の間に、およそ50回も足を運んでいます。1月13日、この日も神戸の海に潜った渋谷さんに、1年を振り返ってもらいました。
Interview1
震災直後の神戸
――震災後、はじめて神戸を訪ねたときは何をしましたか。
とにかく街と海の様子を見てまわりました。
車では無理だということで電車で行き、
海岸線を歩いてまわった。
海からアプローチできないかと思っていろいろあたり、
幸い「海を浄化する研究プロジェクト」でご一緒している、
堺漁業組合の救援物資運搬船に
乗せてもらうことができたんです。
――海からは、どのような情景が見えましたか。
海には漂流物が流れていました。
埋立地では瓦礫の焼却を行っていましたが、
残飯を求めて海カモメとカラスが群がっていました。
神戸の状況を暗闇に映し出しているように思えました。
風の強い日には、街のそこここに
土煙が出ているのがよく見えました。
――言葉を失いますね。
人が大けがをして瀕死の状態でいる、
そんなふうに思えましたね。
ばかげた戦争で、多くの人々や、海や港や街が、
死んだり、傷ついたり、
病んだりしてしまったように思えた。
破壊されている海や港の施設を見て、
「なんとかしたい」という激情が
こみ上げてくることもありました。
「どこが痛い?」「だいじょうぶか」と
抱き起こしてあげたいとも思いました。
――港はいかがでした?
神戸港は物流の中枢ですが、
その象徴であるコンテナ・クレーンの
足が折れたり曲がったりしていて、
絶滅に瀕している巨大な恐竜が
座しているイメージと重なりました。
結末を思わせるようでもありましたね。
物が流れることも大事ですが、
同時に心が流れる「心流システム」があってもいいのに、
とも思いました。
積み重なったコンテナは崩れ落ちている。
平らなはずの岸壁上の道路も、大きく傾き陥没している。
震災のむなしさと自分が怠慢に生きてきたことへの反省が、
心に同時に押し寄せてきたんですね。
自分を含めて、人にもっとやさしくしなければならない。
もっと自然を、地球を理解しなければならない……。
――その後、仕事でも神戸に行くようになったんですね。
震災後、半年ほど経って、
神戸の復旧工事の仕事が入ってきたんです。
数十カ所の海洋施設の工事に携わっていますが、
ほとんどが私が見てまわったところなんです。
偶然といってしまえばそれまでですが、
不思議な思いがしますね。
手当をしてあげたいと思う人がわかるんではないか。
そんな感じがします。
Interview2
神戸の海の「復旧」
――海の中にはどのような影響があったのでしょう?
雨水を流すトンネルや下水処理施設が壊れて、
汚水や汚濁物が直接海に流れて大騒ぎになりましたね。
港の岸壁も8割がた破壊されましたから、
割れ目から土砂が流れ出したりもした。
雪が解けて海水が赤茶けた黒い色に
なったことを覚えています。
太平洋岸では「沖出し」といって汚れが沖に追いやられ、
寒いからプランクトンの発生も抑えられる。
だから比較的、水が澄んでいるのですが、
街の瓦礫やゴミが
雪解け水と一緒に直接海に流れ込んだんでしょうね。
――いまではだいぶよくなっているんでしょうか。
それはまだわかりません。
雨水幹線や岸壁の修理が進むにつれて、
もちろんきれいになるんでしょうが。
――今日、1年後に潜ってみた印象はいかがでした?
冬場なのできれいだろうと思ってたんですが、
入ったとたんに現場の両側に浚渫(しゅんせつ)船が来て
真っ暗になりました(笑)。
前の段階の工事でね。
ちょうどお城の石垣のように、海底に「根固め石」
という基礎を埋めてあるんですが、
その石をいったん取りはずして、もう一度組み直すんです。
――ということは、海底も相当やられている?
私は水産の専門じゃありませんが、
生態系にも影響があったんではないでしょうか。
以前は中層に棲むタチウオがよく釣れたのに、
震災後はほとんど坊主だという。
代わりに、ヒラメやメバルやアイナメなど、
いわゆる「根魚」が釣れるそうです。
あいだに棲めるようになったのと、
海がかき回されて餌が豊富に出たんじゃないかなあ。
地震の思わぬ副産物ですが、
きちっとした海洋構造物を造るよりも、
遊びをうまく生かすという発想があっても
いいかもしれませんね。
――渋谷さんの会社が受注した工事は、神戸のどのあたりでやっているんですか。
長田や西宮や芦屋の沖や、
それに六甲やポートアイランドなど、いろいろです。
もう車でも移動できるしダイバーとして水の中にも潜るし、
船に乗って水上を走ることもある。
だから神戸の状況を、いろいろな角度から見られますね。
山の上から見ても海から見ても、全体がよくわかるんです。
――陸上に比べて、港湾施設や海中の復旧が後回しにされるようなことはないのですか。
そんなことはありません。
水中も、重要なところはいち早く修復されます。
やはりコンテナ・クレーンが真っ先に直されますね。
海岸線の8割から9割が破壊されましたからね、
一斉に直せといわれても無理なんです。
さほど優秀ではない業者までがかり出されることです。
施工を引き受けられる会社や、
能力のある技術者は不足している。
世間やマスコミの「後かたづけはさっさとやれ」
というプレッシャーは、
とても危険だと思います。
――今回の体験で、渋谷さん自身が変わったと思うことはありますか。
もちろんです。
いろいろな人々への思いやりが深まったというか、
内面的に変わりましたね。
こんなことをいうのは口幅ったい気もしますが、
自分のいままでの生き方、
自分の仕事のあり方を改心するきっかけともなりました。
進行・成長していくような予感がしています。
――「改心」というのがよくわからないのですが。
私は微妙な立場にいると思うんです。
仕事上、たとえば埋立工事などの最先端にいる。
それは私の生活を支えているわけですが、
震災が明らかにしたことのひとつに、
埋立などがいままでと同じでは
だめな時期に来ているということがあります。
住宅地を造ってきたわけですね。
しかし本来、海を守るには山を守らなくてはならない。
それなのに、我々人間がやってきたのは
正反対のことでしょう。
あれは砂や土が怒って噴き出したように思えるんです。
我々は、本来彼らがいるべき場所に彼らを収めていない。
言い方はばかげているかもしれませんが、
山の木や、石や砂や土の気持ちになって、
彼らの言い分を聞いてみる必要があると思うんです。
――闇雲に山を削ってはいけないということですね。
ええ。それにダイバーは、海中という
外からは見えないところで仕事をしているので、
ごまかしがしやすい世界なんです。
工事を行った後に、要らなくなった工具などを
捨てても誰にもわからない。
社員には「必ず回収してこい」といいます。
――海洋構造物を造ると、必然的に海に悪い影響を与えてしまうのでしょうか。
ただね、震災の後、
神戸の海に根魚が居着くようになったように、
海中の工事が生態系によい影響を与える可能性も
あるわけです。
もしかしたら海水の撹拌は
生物にとってよいことかもしれない。
人のためにも海のためにもなるような海洋施設を、
我々は造れるんではないか。
――そのためには……?
そのためには、我々がもっと海のことを、
自然のことを知るべきですね。
外面的にはこれまでと同じように工事に携わっていても、
心の底ではこの街、この海、この港、
この施設をいたわる心持ちを忘れないようにすること。
常に問うていくことが大切だと思います。
ネットワークができる日のことを夢想することがあります。
今回の震災では、海に携わる人々が
いち早く動いたわけですが、
「海のネットワーク」が「陸の民」と対等になったことは
歴史上いまだない。
もっといえば海と陸と宇宙は
すべてつながっている>のだから、
我々が海の中の仕事をとおして見えてきたものを、
大勢の人々とシェアーしていきたいと思っています。
海と人間とのあり方
海中は外から見えないところであるだけに、人々の意見が出にくいし、出ても取り上げられる機会が少ない。ましてや、海洋施設を造った後に海の中がどうなったかということなど、工事に携わった人々(国家予算を組んだ人、設計した人、請け負った会社の人、手を下して造った人など)でさえチェックすることはない。だがそれだけに、「見えない世界=海中」の仕事を請け負う責任は重大であると感じている。
最近、「環境アセスメント」ということが言われている。自然の中に構造物を造る際に、事前に環境評価を行うことであるが、これはあくまでも構造物を造ることが前提で、造ったら環境が駄目になるからやめよう、という「肯定的中止」はついぞ聞かない。すなわちこれは、とりもなおさず人間のためのアセスメントであって、海や自然のためのアセスメントとは言いがたいものである。これからは、自然環境と人間とが共に大きく成長できる、真の意味での環境アセスメントが実行できればと思う。
また、海洋構造物を造った後に環境がどう変わったか、というアセスメントも大切である。これまでは、造ってしまえばそれで終わり、ということが多く、その後をフォローする予算が組まれていることは非常に少ない。建造後の海洋環境の地道な調査活動は、次の建造物を造るための良き学習機会になるものであるから、この機を逃す手はない。
いずれにしても、「海と人間とのあり方」を考えるなら、造ったら人のためにも海のためにもなるような、統合性のある段階にアセスメントを引き揚げる必要があるように思う。
海は誰のものか
海洋施設や海洋構造物を造るときに、よく、漁師の方々への補償問題が持ち上がる。海を埋め立てて空港を造るなどの大型プロジェクトの場合に、莫大な漁業補償金が支払われるという。断固として自分の生活の場である海を守る、という人もいるだろうが、多くは補償金をもらって落ち着いてしまっているようだ。
しかし、環境アセスメントのやり方に工夫をこらしたり、施設完成後の海の状況変化をきちんと捉えたりする姿勢が必要ではないだろうか。人のためにも海のためにもなる施設を造るためには、行政だけでなく漁業関係者の努力も必要であるように思う。
私は仕事柄、漁港の中に潜ることがよくあるのだが、たいがい海中はヘドロ化している。こういうことがどうして起きるのか。漁港を使っている漁師の人が、もっとはっきり自覚すべきだろう。海の汚れは、陸からの汚れがまず内湾に注ぎ込む。それが次第に、希釈されながらも外海に拡がっていく。知らず知らずのうちに、汚れは確実に伝播していくのである。
漁港も内湾のひとつである。だとすれば、日本全土にかなりの数が存在する漁港のあり方も、見直すべき時期に来ていると思う。そして、普通一般の人々が、海は自分たちのものでもあるということを、もっと認識できるようになるといい。そうすることによって、海や水に対して責任を持つという姿勢が生まれてくるのではないだろうか。
近年、アウトドア・スポーツやマリン・スポーツが盛んになってきている。一般の人々が海や水や自然に触れる良い機会となっている。しかし、そういった人々は海や自然の汚れに無関心であるばかりか、汚す側に加担しているようにも見受けられる。
家庭においては、生活排水への配慮が必要だろう。我々が日々使用している水がどのように流れていくか。出口をしっかり見届ける意識の広さがほしいと思うことがある。
海は、行政や企業や漁師だけのものではない。誰もがそこに深くかかわり、誰もがそのかかわりに含まれている。海に対する無関心と身勝手さを捨て去り、自分に引き寄せて考えることができれば、海は海自身のものであり、地球のものであり、また海にかかわる数え切れない生物たちのものであるという認識を得ることができるのではないだろうか。海・地球・自然と自分は真に関係している、という「気づき」を深める日常を過ごしたいと思う。
海と川とのつながり
私は、海を見るときに必ず上を見るようにしている。海中から海上、海辺、砂浜、港、河口、工場、街、畑、農作物、木、林、森、山、谷、滝、空、そして宇宙へと。
特に海と川とのつながりについては、つい厳しい目で臨んでしまう。海の汚れのほとんどが川から来るからだ。
私は湘南地方に住んでいて、江ノ島の海に潜ることが多いが、雨が降った後に海が透明度を取り戻すまでの回復時間が、15年前といまとではだいぶ違う。昔は潮まわりから、2〜3日で透明になると予想ができたが、いまはそれができず、1週間経っても海の汚れがはっきりしない。
それはちょうど、川の護岸工事、整備に符合している。要するにきれいに人工化されすぎてしまって、雨が降ると川から海にストレートに流れ込むようになっている。残念なことだが、川の持つ蛇行性や岸にある土の力など、自然性を削り取った結果である。洪水は防止され、外観的な美しさは整ったけれど、自然に対する配慮が非常に減少したと思う。
海は最後の砦
陸からの汚れは全部海に流れ込んでくる。つまり、海は最終の排出口なのだ。海は陸の健康状態の鏡となっている。だとすれば、海の様子が少しでもおかしければ、異常な状況をできるだけ早くキャッチする方がいい。
海は何もかもを洗い浄めてくれるとてつもなく大きなもの、と誰もが思っていた。しかし、地球という器の大きさが見えてくるようになって、海も器の中の有限なものであることがわかってきた。海は地球の3分の2を占めている。その海が浄化不能になったらどうなるだろうか。
海の状況を測定するチェック器を、世界中の海に設置したいと思う。これをインターネットでつなげれば、日本の海を、地球の海を自分のものとできるかもしれない。海が有限であることを、私たちひとりひとりがはっきりと認識できるシステムを拡げていかなければならない。そしてそれは、できることなら海が汚れていく速度よりも速いことが望ましい。
海には目に見えない価値がたくさん詰まっている。それをひとりひとりが明確にしていくことが大切だと思う。
たとえば、きれいな海がそれを見た人に与える影響と、汚い海が与える影響はどう違うのだろう。また、磯に砕ける波の音が与える影響と、砂浜に寄せる波の音の影響とはどう違うのだろう。あるいは、海の持つイオン効果はどんな影響を及ぼすだろう。
そういったことを、科学的に検証できるようになるといいと思う。海や水や自然というものの価値を、もっともっと表舞台に立たせることができればいいと思う。(文・渋谷正信)
ダイバーが観るのは「海の中」だけではありません。どこの海にも、その海を育んでいる川や森の気配が反映しています。それだけならいいけれど、山林の過剰開発や生活・工業排水を注ぎ込む都市からの影響も、海は如実に、そしてすぐに反映します。その意味で、海は都市とそこに暮らす人々の鏡であり、山や森の「健康」をのぞく窓でもあるのです。
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