明治36年(1903)5月、わが国で初めて共電式交換機が京都電話交換局に導入され、それに伴い電話機も交換機に見合うものになりました。共電式は、交換局の電池を全加入者が共同で使用する方式であり、“共同電池式”を略して共電式と呼ばれました。最初に京都で採用された共電式電話機はグースネック形と呼ばれたもので、これは腕金とその先端に付けられた送話器の部分が、ちょうどガチョウの首のように見えるところから名付けられました。この頃、日露戦争により日本経済に景気をもたらし電話加入者は増加。電話機に関するユニークな発明品も現われました。また、日露戦争では電話が大いに活用されていました。