日露戦争では、電話も戦列に加わることになります。日本のそれぞれの部隊は、電話機を持ち、銅線を張りながら戦地を進んでいきました。三個の師団から成る一群は電話で一将軍に連結され、そのそれぞれと元帥が電話で連絡を取るというのが、日本軍の電話作戦だったのです。一方、戦勝ブームの陰では、与謝野晶子が「君死にたもうことなかれ」の言葉を残し、幸徳秋水が反戦論を発表するなど、戦争のもうひとつの一面を表すこととなりました。