明治6年(1873)2月、日本政府は東京〜長崎間の陸上電信線を開通することとなりました。これより先の明治3年(1870)8月、政府はデンマークの大北電信会社に海底電信線敷設の許可を与え、期間を30年として契約を結んでいました。この契約には、「日本政府による同地間の陸線建設が速やかに完成して技術上不便がなければ大北電信会社は工事を見合わせる」という条項があったため、外貨に乏しい日本政府は東京〜長崎間の陸上電信線建設を急ぎ、明治4年(1871)8月、工事に着手。大北電信会社に頼らず、開通にこぎつけました。まだ政府の力も確立されていない不安定な当時、文明の象徴であった電信局は目の敵にされ、また東海道を電信線が伸びていく様は時代の変化を如実にあらわしていました。