陸上電信線の建設は驚異的なスピードで行われ、明治12年までに全国の主要都市に電信局が設置されていきました。当時の福沢諭吉は、蒸気船、電信、印刷、郵便の発達が、それまでの時間と空間の観念を、日常の人間関係から経済・政治・戦争を、激変させていくことに着目していました。全国が「一場の都会に変じ」、「千里比隣思想を通じて方言語音なまりでも平均するに至る可し」との彼の想像は、まさに現実のものとなったと言えましょう。