「電気通信と鉄道」ツアー 1/4
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明治33年(1900)9月、それまで電信支局や郵便局内の電話所だけにしかなかった公衆電話が、初めて街頭に進出し街の様相が変化していきました。まず、上野・新橋の両駅構内の2か所に設けられ、翌10月には、最初の屋外用公衆電話ボックスが京橋のたもとに建てられました。当時「自働電話」と呼ばれていましたが、これはアメリカの街頭電話に表示されていた「オートマティックテレホン」をそのまま直訳したものといわれています。文明の利器である電話が街頭に進出するとともに、翌34年には、荒っぽい応対ぶりで評判の悪かった男子交換手が廃止され、以来、電話交換手は女性の代表的な職業になりました。