Sep. 24, 1996 Oct. 8, 1996

Art Watch Index - Oct. 1, 1996


【心を癒す植物―アート・ボタニカル・ガーデン】
 ………………● 宮迫千鶴

【《ヒニクなファンタジー 現代5人の想像世界》展】
 ………………● 椹木野衣


Art Watch Back Number Index



《心を癒す植物―アート・ボタニカル・ガーデン》
会場:
目黒区美術館
会期:
1996年
8月3日〜9月16日
問い合わせ:
目黒区美術館
Tel. 03-3714-1201
Chieko Oshie

押江千衣子
「みずえ」1996

Yuki Nakaigawa

中井川由季
「櫟(クヌギ)林のために4」1993




日本園芸療法研究会
http://www.bekkoame.or.jp/
~takasuna/index.html

目黒区美術館
http://www.dnp.co.jp/
museum/meguro/
meguro.html

中川佳宣
http://www.iip.co.jp/
ARTISTINDEX/19/
19home.html

民族薬物資料館
http://fs.toyama-mpu.ac.jp/
public/mmm/home-J.html

心を癒す植物
―アート・ボタニカル・ガーデン

●宮迫千鶴



「花や植物は沈黙の存在だ」と、アメリカの片田舎の老屋でひとり住みながら、研ぎ澄まされたエッセイを書いたメイ・サートンは記す。そして「それらは、耳のほかのあらゆる感覚に滋養をあたえる……」と書きながらも、さらに「聴覚さえ包含されるのかもしれない」と続ける。たしかに空気を浄化する作用として、食べ物や薬として、色やかたちの美しさとして、そして風にそよぐ音楽として、植物は私たちの五感を超えた癒しの力をもっており、そのことにいま私たちはとても敏感になっている。
  エコロジカルな意味ではもちろんだが、もっと魂とかスピリットが植物を求めていると私は思う。なぜなら植物は動物よりもしなやかに「共生」するし、静かでいて情熱的に繁茂する「力」を内に秘めている。荒々しい動物的闘争よりも植物的調和、それは私たちの新しいライフスタイルの憧れでもある。

眼と心と知性のための植物園

この夏、目黒区美術館で行なわれた《心を癒す植物―アート・ボタニカル・ガーデン》は、そういった魅力的な植物の存在と出会うためのさまざまなアート(感性の技術や知性の作法)がそれぞれの作家の個性に応じて表現されていて、植物好きにはとてもチャーミングな展覧会になっていた。
  並べられた10人の作品を私流にあえて名づけると、

  1. 「植物に魅惑されること」
    押江千衣子の大きな画面に描かれたみずみずしいオイルパステルの植物画、駒形克哉の現代風アールヌーヴォー調の夏の庭の切り絵、杉山啓子のエッチングと和紙で再現したスズメバチの巣のような不思議なフォルム、熱帯植物のエッセンスを描き出したような増田聡子。

  2. 「植物の形態から学ぶこと」
    種子や木の実のインスタレーションを作り出している竹田康宏、植物や果実がもつ美しいかたちを陶芸で再現した田嶋悦子、同じく陶芸で大地の種子とも思える巨大なタネや実を作り出した中井川由季、種子がもつ規則性や広がりをユニークなオブジェとして表現した中川佳宣、出会ったさまざまな樹木から自在なフォルムを生み出し、触れるオブジェとして展示した横尾哲生。

  3. 「植物に記録されること」
    太田三郎の日々出会った植物の種子をコレクションし、それをその日の新聞とともに展示したタネによるドキュメント。
  これだけでも充分に多彩であるが、これに歴代の美しい「植物図譜」や、実際の植物を組み合わせて展示した「生薬」のコーナー、さらに「本物の種子」の展示やさまざまなワークショップ。いわば美術館全体が、眼と心と知性のための植物園になっていた。

野生のエレガンスが香る「生薬」

どれも面白かったが、私はこの「生薬」の展示の美しさにみとれた。町の漢方薬の店先とは違って、ドライフラワーになった植物たちがじつに端正に並んでいて、そのガラスの中から野生のエレガンスが香りたってくるのである。いわばそれは「目で見る薬」であり、それは私の好きな魔女の力、薬草に深く通じている魔女の世界に通じていく扉であった。都市の片隅でこっそりと植物を自在に操る魔女になってみるのも悪くないな、と思いながら私はその部屋を出た。

[みやさこ ちづる/画家・エッセイスト]

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《ヒニクなファンタジー
 現代5人の想像世界》

会場:
宮城県美術館 
会期:
1996年
7月27日〜9月1日
問い合わせ先:
宮城県美術館
Tel. 022-221-2111
Taro Chiezo(1)

太郎千恵蔵
本館エントランス・ホールでの
インスタレーション
"An Experiment : Robots to Fall in Love / or Not" 1994

Taro Chiezo(2)

太郎千恵蔵
インスタレーション・ヴュー
(展示室内)

Nakanowatari(1)

中野渡尉隆
インスタレーション・ヴュー
(展示室内)
"Super B to the Future Project PHAEDRUS" 1994(手前)
"For Total Blind Generation" 1992-93(左)
"Gasoline, Air, Fire, Electricity" 1992-93(後右)
"Shaped Wood Propeller" 1991(後左)

Nakanowatari(2)

中野渡尉隆
インスタレーション・ヴュー
(展示室内)
"Super B to the Future Project PHAEDRUS" 1994(手前)
"Back Mirrors" 1994-96(後)
撮影:佐藤英






太郎千恵蔵
http://www.fis.utoronto.ca/
mcluhan/powerplant/
age/taro.html

森万里子
Mariko Mori - Reference Page
http://www.artincontext.com/
listings/pages/artist/
2/4v5x1a12/menu.htm

Fine Magazine Feature:
MADE IN JAPAN by Mariko Mori
http://www.finemagazine.com/
fine1/art/mori/
mohome.htm

奈良美智
http://www.iijnet.or.jp/
artvil/G_Domestic/
Human/9512/nara.html

Pazu專 Anime Page
(フランス語)
http://www-eleves.
int-evry.fr/~allais/

MOTORCYCLE ONLINE
http://motorcycle.com/
motorcycle.html

《ヒニクなファンタジー
 現代5人の想像世界》展

●椹木野衣



時代環境を反映した作品

本展の出品作家5名(村上隆、太郎千恵蔵森万里子、中野渡尉隆、奈良美智)のうち、4人までが海外と日本を往復する制作活動を展開し、発表の機会も日本と海外とでなかばする。また、やはり5人のうち4人までが1960年代の生まれであるから、おのずと展示には、世代といって聞こえが悪ければ、日本のある時代環境を反映したものとなっている。
  この時代環境をひとことでいえば、アメリカからの影響の全面化といってよいだろう。
  5人の作家は、それぞれ漫画、アニメーション、ポップミュージック、バイク、ハイテクノロジーといったポップカルチャーからの影響の中で、自らのアイデンティティを獲得/解体しており、海外と日本とを往復する制作活動を自明とする彼らの制作態度も、そのような自我の形成/解体を抜きにしては考えられない。
  また、忘れてはならないのは、そのような影響関係を屈託なく表現できるための土壌を用意したのは、よくもわるくも爛熟した消費文化を出現させたわが国における80年代の経済環境であるということだろう。
  とはいえ、彼らの表現をたんにアメリカのポップアートの遅れてきた日本版とすることはできない。むしろわたしたちがそこに見出すべきなのは、戦後の日本という場所が、アメリカによって文化的に「占領」されてきたということと、彼らの表現がポップなのだとしたら、それは、いわば極東における植民地ポップなのかもしれないという点であろう。いうまでもなく、わたしはこの言い方を否定的に使っているわけではない。そのような影響が全面的であるにもかかわらず、そのことを忘れることによって制度的な囲い込みをほどこし、かろうじて成立していたのが「現代美術」という閉域なのであり、それとは反対に、ここでの5人の作家の表現は、自らを規定するそのような「悪因」を進んで認識することによって、逆に外に向けて開かれた自由さを獲得しているように思われるのである。

評価したい「自由さ」

彼らの作品を見ていると、戦後の日本という場所が、予想以上にハイブリッドでアナーキーな、そしてそれゆえにあらゆる外部と接続可能であるような自由さを持っているように感じられる。時には見るものを混乱させかねない彼らの活動や特徴、すなわち、頻繁に海外と日本を往復し、ハイカルチャーとサブカルチャーを複合させ、女性的要素と男性的要素を混在させ、民族性を横断するといった要素は、むしろそのような自由さという観点から積極的に見られるべきだろう。
  今回の展示ではとりわけ、太郎千恵蔵による異様な輝きを放つ「未来」的なインスタレーションと、硬質な暴力性とリリシズムを兼ね備えた中野渡尉隆のインスタレーションが注目に値する。

[さわらぎ のい/美術評論家]

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