戦災による電話の破壊から深刻な電話不足となり、これを解消するために考えられたのが、電話局側が公衆が利用するために電話を店舗などに設置させてもらい、管理を依託する委託公衆電話でした。受託者には加入権はなく、局の通話機関の一種というものでした。これも簡易公衆電話と同様、その便利さから次第に普及するようになりました。昭和28年からは、よく目立つ赤色にかえられ、これが「赤電話」のはじまりとなりました。この頃、戦後はじまった視聴者参加型のラジオクイズ番組では、郵便はがきに変わって電話でリアルタイムに受け付けるようになりました。