大正15年(1926)3月に横浜中央電話局が自動交換機を採用するにあたって、ドイツから輸入したジーメンスハルスケ式交換機が導入されました。これは同じステップバイステップ方式の交換機ですが、東京をストロージャー式とし、横浜をジーメンスハルスケ式にしたのは、国際競争入札によって安価な購入をするため輸入メーカーを2社以上にしたためでした。このジーメンスハルスケ方式は、その後大阪、神戸にも輸入品を使用しましたが、昭和9年(1934)から国産化され正式にH形交換機と呼ばれました。加入者の増大に伴う手動交換機の行き詰まりと大震災による被害を契機に採用された自動交換の普及に際しては、デパートや学校で講習会が開かれました。