大正2年の東京の電話交換手は約2000人。これに対して一日の市内通話数68万回。増え続ける電話に対応しきれなくなりつつあった若い交換手たちに「いつでもお話中ばかり」「間違える」という苦情が殺到します。第一次世界大戦後の好景気と民力の充益とに乗って、会社や銀行その他の事業場に私設交換台が急増、熟練交換手は高給で引き抜かれ、まだ14〜15才の見習い交換手ばかりが残され、電話交換の混乱をさらに大きくしていきます。自動交換の実現を求める声が上がり始めます。