関東大震災で壊滅的な打撃を受けた東京・横浜の電話の復興は、自働交換方式 (ステップバイステップ式) で行なうことがいち早く決定しました。この方針に基づき、大正14年(1925)2月から工事が行われ、大正15年(1926) 1月に、東京の京橋局がわが国の自動局の第1号として誕生しました。同年の3月には横浜本局と長者町分局が自動化されています。