大正の後期となり、学校教育の上でも50音 (あいうえお) が採用されるようになったのを契機とし、電話番号簿の人名配列も「あいうえお」順に改められました。また、記載方法は横書きとし、番号は算用数字、局名と局番号を併記して表すようになりました。電話番号簿の名称は昭和46年(1971)から電話帳と改められました。大正14年には、ラジオという新しいメディアも登場。電話とともに大正時代の市民文化が華開いた時代でした。