明治39年(1906)に日米間に直通海底電信線が開通したことは、デンマークの大北電信会社に依存しない対外通信回線が開かれたという意味で、画期的な出来事でした。日米海底線のケーブル長は、日本本土〜父島間646海里、父島〜グアム間約930海里でした。本土の川崎〜父島間の敷設は、日米の正式協定調印を待たずに、明治38年(1905)5月に着手し翌年6月に完成。日米海底線による公衆通信の開始(26日)に先立ち、同年6月に天皇と日露戦争の講和を斡旋したルーズベルト大統領との間に祝電が交換されました。