1854年、ペリー(Matthew Calbraith Perry、1794〜1858)の2度目の来航の際、アメリカより徳川幕府に数々の品が贈呈されましたが、その中に電信機2台とその付属品がありました。これを贈呈するに先立ち、アメリカ人自ら組み立て・架線して、横浜駒形の応接所と洲干弁天境内の名主、中山吉左衛門宅との間で電信機の公開実演が行なわれました。当時の様子は「日本遠征日記」にも記されおり、幕府はペリーに対して力士によるパフォーマンスを行ったといいます。また、海外渡航を果たした留学生たちによっても電信の知識がもたらされ、志の高い幕末人が世界へ目を向けている時代でもありました。