皆さんご存知の通り、平安京が造られたのが794年。
当時、都を奈良(平城京)から
京都(平安京)に遷都したのが、
桓武天皇である。

京都が「魔界都市」と化した
そもそもの原因は、この桓武天皇といっても過言ではない。
 784年、都は桓武天皇によって平城京から
山城の長岡京(現在の長岡京市付近)に移された。
表向きは、次第に仏教勢力が強力なった奈良を離れて
「政教分離」を行うというものであった。
しかし、事実はそれだけではなかった。
この遷都の裏には、桓武天皇の皇位継承にまつわる
血塗られた陰謀劇
そして呪いが見え隠れしていたのである。



その第一の陰謀劇で桓武天皇と争ったのが、彼の異母弟にあたる他戸親王とその母、井上内親王であった。

結局、桓武と他戸の皇位継承争いは、朝廷の重臣、藤原百足の謀略によって桓武の勝利に終わる。他戸親王の母子は、百川に天皇を呪詛したという濡れ衣を着せられ幽閉、そして3年後に 殺されてしまうのだった。

  ようやく手に入れた都、平城京であったが、その後、飢饉・地震・疫病等、次々に災いがふりかかり、ついに桓武天皇も重病に倒れてしまうのだった。

桓武天皇は、これらの災いを井上内親王、 他戸母子の祟りであると恐れ、 放置してあった母子の墓の改葬、悪霊払いの儀式などを行い、 その霊を鎮めるために努力した。

だが、その努力をあざ笑うかのように、
怪異は納まらなかった。
陰謀の中心であった藤原百川も謎の死を遂げる。


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