Nov. 5, 1996 (b)

Column Index - Nov. 5, 1996


a)【《三人の巨匠たち》展】……………………● 椹木野衣

b)【フィルム・ノワールの光と闇
 ―映画キャメラマン ジョン・アルトンについて】
 ……………………●森田祐三

c)【反「逃走論」のススメ─スローであることの強度】
 ……………………●熊倉敬聡


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ステファヌ・マラルメ
Stephane Mallarme, sonnet, Club des Poetes (in French)
http://www.franceweb.fr/
poesie/mallarm1.htm

Keio University Home Page
http://www.keio.ac.jp/
index-jp.html

ヴィリリオ
_SPEED_FUTURE: VIRILIO
http://www.arts.ucsb.edu/
~speed/speedFuture/
virilio.html

Hyper Tokyo
http://www.asij.ac.jp/
middle/hytokyo/MAIN.HTML

ドゥルーズ&ガタリ
Deleuze & Guattari page
http://jefferson.village.
Virginia.EDU/~spoons/
d-g_html/maind-g.html

反「逃走論」のススメ
─スローであることの強度

●熊倉敬聡

 

料理好きの知人とどぜうの丸鍋をつつきながら

ここでは、主にダンス、身体表現の最新の動向について論評することを依頼されている。だが、場がインターネットで、しかも英語とのバイリンガルであることから、例えば外国のダンス・カンパニーの日本公演の論評などをしてもあまり意味がなく、もっぱら「日本」という一つの特異な社会的・文化的環境でこれまた特異な形で生成してくる舞踊、身体表現だけを論じるようにこれまで心がけてきた。しかし、パフォーミング・アーツはいたって出来事性が強いアートであるため、1カ月間、これは、といった上演がなかったり、あるいはこちらの都合で観に行けなかったりというときもある。
  ということで、今回は、やや言い訳がましいことを書いてしまったが、論じたくなるような公演もなかったので、閑話として、昨日一緒に夕食を食べた知人の面白い話を紹介しようと思う。
  この知人、某有名私立大学で主にフランス語を教えているけれど、もともとはステファヌ・マラルメの専門家。ところが、最近はいわゆる「文学」というものをあまりに深くやりすぎたせいか、飽きてしまったようで、現代アートやらに首を突っ込み始め、それ関係の評論などを書いたかと思うと、はたまた謎のアーチスト・グループに参加したりで、趣味がまた「料理」(─かなりおいしいらしい)という相当な変わり者。この私立大学、1万円札の肖像で、「脱亜入欧」などを唱えた人を創立者にもっているけれど、永井荷風や西脇順三郎などといった人物たちも輩出しているから、これぐらいの変わり者もそう珍しい訳ではない。
  こういう彼が、昨日、東京下町の高橋のどぜう屋で丸鍋をつつきながら語った話(注:日本では鰻の小さいような魚類を鍋で丸ごと煮ながら食べる)。

メディアにつながれていることへの疲労

  〈最近、妙に疲れるんだよね。うちにいても、やれ電話、やれファックス、やれE-mail、やれインターネットと、脳や身体が四六時中メディアにつながっている感じ。自分んちにいるのに、妙に慌ただしいんだよね。ずっと頭痛もするしね。ヴィリリオが「情報汚染」って言っているんだけど、まさにそういう感じ。脳も身体も細胞のすみずみまで情報漬けになっているんだよね。しかも 「東京」っていう都市に住んでいると、そのスピードがやたら速いわけ。「東京」って、世界で一番情報の流通が速い都市だと思う。で、みんな、僕だけじゃなく、目まぐるしい速さで押し寄せる情報にオーバーヒート気味ね。これ以上速くなったら、一体人間どうなっちゃうんだろうと不安になっちゃう。それこそ、前に浅田彰(注:日本のポストモダニズムを代表する評論家)がどっかで、バターになるトラの話を書いていたけど、気がついたらあんな感じで飽和しっちゃってドロドロになっているのかなあ。

スローであることの強度

そういえば浅田彰って、『逃走論』とかっていう本出してるけど、あれって結構こういう末期的な状況を準備したような気がする。っていうか、浅田彰本人っていうより、ジャーナリズムが“記号”化した「逃走論」。逃げて逃げて逃げまくって、それでも追ってくる情報よりさらに速く逃げるって言うイメージ。これが結局ますます情報を加速してしまうってわけ。
  本家本元のドゥルーズ&ガタリの国だったら、日本に比べて圧倒的に社会や情報のリズムが遅いから、「逃走」の早さが破壊的な力を生むかもしれないけど、東京みたいにもともとやたら速いとこでいかにパフォーマティヴに早さを競ったところで、所詮は─まあ浅田彰みたいなスグレモノは別だろうけど─勝ち目がないと思う。
  だから、今、「日本」っていう環境で、それこそ“力”を創り出すのは、「速い」ことではなく、「遅い」こと。っていうか、「スローであることの強度」なんじゃないかと思う。舞踏の土方が、何かを手でつかもうとすると、その手の中に、次々と手の記憶が蘇ってしまって、「手ボケ」になってつかめなくなってしまう、っていうことを言っているんだけど、そんな感じの強度。そういえば、ドゥルーズ&ガタリも言っていたよね。「座ることの中に、最大の旅がある」って。〉

[くまくら たかあき/フランス文学、現代芸術]

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a)【《三人の巨匠たち》展】……………………● 椹木野衣

b)【フィルム・ノワールの光と闇
 ―映画キャメラマン ジョン・アルトンについて】
 ……………………●森田祐三



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