つれづれなるままに、日ぐらしでぃすぷれいにむかひて、 画面にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく映しつくれば、 あやしうこそものぐるほしけれ。
ゆくぱけっとの流れは絶えずして、しかももとのぱけっとにあらず。 よどみに浮かぶ塵でーたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる ためしなし。
「浮世絵類考」(仲田勝之助編校 岩波文庫)によれば、名を豊房といい、 狩野派の狩野玉燕周信の門人であったが浮世絵と同じものを描いていたと いいます。 「鳥山石燕は一時の聞人なり」と書かれているところを見ると、当時も ある程度有名人であったようです。門人には若い頃の喜多川歌麿がいて、 現在ではそちらの方が有名かもしれません。作品には「百鬼夜行」の シリーズの他に「鳥山彦」や「水滸画潜覧」といったものや絵本の挿画などが あります。
石燕の作品では「画図百鬼夜行」が有名で、最初に刊行されました。 それが評判を呼んだ為か「今昔続百鬼」が「百鬼夜行」の続編として 刊行され、続いて「今昔百鬼拾遺」「百鬼徒然袋」が刊行されています。 年代を記すと、
「百鬼夜行」は「ひゃっきやぎょう」と読むのが正しいようです。 「画図百鬼夜行」に出てくる妖怪は、最初のうちは日本で有名なものですが、 そのうち、故事にちなんだものや中国の妖怪が入り、「百鬼徒然袋」に いたっては、ほとんど石燕の創案した妖怪といっていよいと思われます。 妖怪の図柄や構図は、先達である「百鬼夜行絵巻」(真珠庵蔵)などを 参考にしていると思われるものが数多くあります。そのような 参考になったかもしれない資料としては、