京都に続いて明治42年(1909)、東京、大阪、名古屋の一部で共電式が採用されました。この頃には共電式の欠点であった線路の絶縁低下の問題は、エナメル線などの開発によって解決され、以後、大正期を通じ次々と共電式に改められていきました。2号共電式電話機は、本格的な共電式時代を迎え国産化した最初の共電式電話機でした。