原日本・高知の自然流生活館土UPBOTTOMHOMEMAPIWE96

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アーティスト
都築 房子 Fusako Tsuzuki

造形作家(現代美術)。
高知県南国市在住。
高校・専門学校で美術を教える。
高知市で造形教室主宰。

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取材の窓:1996年7月8日。 都築房子氏の取材は、彼女の主宰する造形教室で明るい夏の午後、行われた。彼女は造形作家として作品をつくり発表する一方、学校やこの教室で子供たちや学生、後輩の指導に忙しくも自己管理された日々を送っている。彼女のまわりには「つくりたい、産みだしたい。あなたにもあるでしょう?」という欲求があふれており、彼女のまいた「種」は、多方面で新しい芽を出し、養分を得て変化に満ちた育ち方をしている。


紙を作品に使うようになったきっかけは。

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福井県の今立現代美術紙展に誘われたことがきっかけで、それまで木や竹を使っていたんですが、新しい展開の素材として紙をやってみようかと。その時目の前にあった和紙はあまりにも完成された素材だったので、原料とか、紙と木の間みたいなものを何年間か探って作品をつくっていました。高知の紙業試験場で和紙の加工済み原料を分けていただいたり、トイレットペーパーを水に溶かしてボンド液と混ぜたものもしばらく使いました。

写真「Not now,but sometime,Not here,but somewhere」1995


原料としての紙から完成品の紙へ移行したのは。

80年代から90年代への変わり目で世の中の動きも美術の世界も大きな変化が見えてきた時代で、暗中模索していたなかで、つくりたいものの具体的なイメージがはっきり見えてきたのが原因。最初は高級な紙を使いました。非常に優れていてイメージとはピッタリ合ったのですが、高価すぎた。そういう時、知人から、より安くて大量に使える高知の紙を知り、現在はずっと使っています。高価な良い原料の紙は、紙自体の持つ品格、品位がある、という感じです。ただ、私の求めている紙の強さや質感などは今の紙で十分出ています。


自分のイメージどおりの紙を漉き上げる欲求は。

私にとっての紙は、つくりたいイメージを表現するための素材です。たまたま土佐和紙という非常に優れた素材が身近にあって、供給してくれる友人がいて成り立っている仕事ですから、自分で漉く必要はあまり感じていません。紙を漉く必要を感じている作家は、紙という素材が出来上がるプロセスに興味を持っているのでは。
最近は着色も始めてますが、和紙の白さは変化がある白なんですね。一枚ごとに、注文の度に微妙にちがう、それ自体の持っている微妙な誤差みたいなものが表現にも入って来るのは、活用したい面白い要素。それに、コンパクトに折りたためるのは紙の良い点です。布もそうですが、染めたりするとやはり違う。紙はちょっと、皮膚感覚ですよね。


作品に込められているテーマは。作品のなかで種の進化がかいま見えるような感じを受けますが。

自分が生きてものをつくり、やがて死んでいく生命体であるということ。それを”私は種”という言葉で表現しています。”私は種。私からすべてが始まる”ということがキーワード。生身の人間としての自分が子供を産むことと同じように、自分の生を全うするために、作品も私は産みだします。私の作品の世界が、現実とは別の一つの世界をかたちづくり、何らかの影響を他の人に与えていくなら、非常に幸せなことだと思います。自分がまいた種、それは具体的な作品という形で残らなくても、自分自身が生きて接触して話したり、もちろん作品をつくることもですが、そういう風にしたことは、また誰かのなかに何かの種を落すことになるし、どこかでそれが展開を見せていけば。自分にできることは限られたことですが、どのように全うするかということは、年齢が上がるにつれて、重要な課題になって来るでしょう。だから、作品に時間とエネルギーをもっともっと注げるようにしなくてはいけないと強く思います。つくるだけじゃなくて作品は発表して公にしていくわけですから・・・速くしないと燃え尽きてしまう(笑)。
紙は循環する素材。木とか草とか、植物素材から繊維を抜き出して、一枚の紙というシートにして、朽ち果てて土に還れば、また肥やしとなって植物の命に貢献していく。使い捨てではない。作品をつくる時、大量の紙に囲まれていると、まさにそういう循環する大きな輪に取り込まれている私、という感じはありますね。


作品をつくるプロセスのなかで、紙という素材と作者との距離はどのように変化するのでしょうか。

紙は、見かけほど扱いやすい素材ではないと思います。何年か使ってきて、非常に手強い素材であるという印象です。まず、立体作品ですので、紙を立ち上げる、三次元に存在させることが、何かの支持体なしには難しいということです。支持体の存在を表に出したくない場合に非常に難しい。紙自体が抵抗のある素材でもあります。今は厚さのあるごわごわした紙をやわらかく揉みほぐして使うため、体力の要る仕事になっています。
写真アートの素材として紙はまだまだ可能性はあると思うんですよ。ただ、使いこなすことは難しい。ここ2、3年、やっと自分の素材になってきたなという感じ。現代美術としての紙の使い方は、出尽くした感はあるし、一方、工芸やファイバーワークの作家たちにも特別な新しい方法はないようです。だからこそ今まで誰もやったことのない方法で、紙自体を素材として使いこなしたいというのはすごくある。紙はピシッと形をつくろうとしても、紙自体の重さや空気中の水分の含み具合とかで、どこかでたるん、とたるむ。そのたるみ自体を正すべき欠点と思わずに、紙の特質と考えれば、けっこう楽に形づくれるのでは。支持体にピンと張ってしまえば一番簡単なんだけど、なるだけそうしないで、ふにゃふにゃと、しわやたるみを作品のなかに取り込んでいきたいですね。紙はしばらくは使うと思います。今はスタイルと表現の核になるものとのギャップがないから。

写真「過ぎゆく時をゆっくり待つ」1996


外国で紙に興味を持っている人に、産地としてどんな風に紙を提供していけばいいと思いますか。

異文化体験という受け取り方ではなくて、1996年まで来てしまうと、アメリカもヨーロッパもアフリカもアジアも、地域の感覚差以上に大切なものがある気がします。自分が表現したいことが先にあって、その素材として使うなら、必要とする紙もちがう。皆自分自身の問題イコール世界の問題ですから。そういう地点に立って、特定の用途や漉き方の技術ばかりでなく、どんな紙でもある、どんな紙でも提供できる態勢が高知にあれば、強いバックアップになると思います。

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