原日本・高知の自然流生活館土UPBOTTOMHOMEMAPIWE96

写真 
ネットワーカー
刈谷 裕子 Hiroko kariya

PAPER LABO代表。 土佐和紙のPRイベント・「用の紙展」
を'90年より毎年開催。
伊野町在住。
写真取材の窓:1996年7月25日。刈谷氏の自宅の、木と紙に囲まれた部屋で取材。ここは蔵を改築したゲストルームにもなっている。氏は紙を探して高知を訪れる人にとって、紙の大使のような立場にあり、民間の交流に力を注いでいる。伊野の町と高知を愛し、紙のネットワークの交差路に立ちながら、途切れることなく紙をめぐる夢を紡いでいる。本質を見る眼を持ちアイデアにあふれながら、一市井人としての生き方を愉しむ生まれついての自由人。

写真 ゲストルームにて。中央の白は紙布。


ペーパーラボの活動を始めたきっかけは。

8年になりますが、子育ても済んだおばさん連中が、伊野の町で紙に関する仕事をしてみようと始めたものです。


紙のイベント、用の紙展について。

はじめは伊野の紙を売りに回ってみたけど、“素敵な紙だけど何に使うの?”と言われたことが課題になって。それで紙の使い方の勉強をしようと、いろんな人たち、アーティストとか工芸家とか、紙に興味がある人に呼び掛けたんです。


テーマは毎年変わるのですか。

写真明かり、紙布、包む、住まいなど。友人知人に声をかけて作家を探して、それからそれへと人がつながっていって。1回目は“衣・食・住”というテーマで、紙布から始まって、紙のお鍋とか落し蓋がわりの和紙やカトラリーケースなど、いろいろな提案がありました。最近は高知の人だけでも作品が集まるようになって。高知で紙の作家を育てることと、地元らしい独特の商品ができるようにという思いが一番強いです。


どんな方面で商品開発をしたいのですか。

住まいに紙がもっともっと取り入れられたら。私は和紙の使い方のなかで障子が一番傑作だと思う。これからまた良さが見直されて来るのでは。障子の張替とかも簡単でいい方法が出てきたらと思う。ブラインドが和紙でできて、ビルの窓が全部それでできたら素晴らしいと思うけど。町へ出るたびに、これが全部和紙だったらなあと眺めるんです。


そういうものを高知から発信できれば…。

写真いつも言われることだけど、素材としての紙というものの可能性は、まだ人類はほとんど使っていないと。それが一つの望みで、その用途を何とか…昔から高知の太陽と水と土でなければできない良質の楮が山で死んでいるのも情けなくて。フィリピンやタイの安い楮を使うようになって、ますます作らなくなった。みんなが必死でコストのかからない方法を考えたら工場もできて山もにぎやかになるのではと思ったり。


楮加工工場。山は林業中心ですが、楮は農業。

原料をパルプ状にするには環境保護のために設備にお金がかかる。といって日本ではできないけどフィリピンでは規制がゆるいからたれ流しの工場で安く作れるというのはコスモ的に考えたらちょっとね。そういう選択によってどれだけ人類が大きい課題を負ってきたか。


それが回ってきて、伊野の山の上の木が酸性雨で立枯れている。

和紙もそういう大きな問題と無縁ではない。今の社会の紙の使い方はひどすぎます。ケナフなど非木材紙の用途を増やして原料の生産を高めるのも大事。それには昔から紙の産地だった高知県から発信できたら、そんな思いはいっぱいあるけど。私たちが紙を使う人と作る人の間に立って、その要望が作る方に通じて、求める紙が作れるようになったら、そんな役目が果たせればと願ってます。


紙にかかわっていてネックになることは。

写真作家が高知の加工済み紙原料が欲しいという時に一番困る。純粋な楮の原料をと言われるけど、原料だけ作っている人がいない。紙漉きさんにとって、原料の加工が製紙工程の90%みたいなもの。原料加工専門の人がいたら誰にでも売ってくれると思うけど。それで高知の特徴ある紙ができるんですけど。昔は農家の人が農閑期にあぜ道へ楮を植えて、冬にそれで紙を漉いていた。その伝統が今も続いているから。そうして自分で植えた楮を紙にして縄でなって、落し紙として町で売って歩いたのが伊野の紙漉きの原点だと思う。それが家内工業になり、発展して行っても自分で全部作る工程は変わっていない。家庭紙でもそれぞれがパルプを買うところから仕上げまで一軒でやっているでしょう。


だから自ずと種類が多くなるんですね。

商売としてはヘタだと思うけどねえ。


逆に開発して欲しいという時には、みんなが違うからいろんな要望に応じられる。

長所と欠点は一緒になるというから。愛媛の川之江市の水引工場なんかも、工程ごとに関連企業がいくつもある。高知は紙から製品まで一軒でやる。独特のものはできるけど、大きな発展はむずかしい。


産地としてこれから各地の人とのつながりはどうあるべきでしょうか。

1000年も昔から高知にある紙。これは高知の土地から生まれたもの、仁淀川の恵みで漉かれた紙だという技術や思い入れを大事にしていいものを作っていることを、いろんな人に知って欲しい、使って欲しいという気持ちがあると同時に、いろんな人たちと一緒に新しい高知の紙を作っていきたい。


世界から紙を見に来る人もいる。

アートの世界で伸びるのも悪いことではないと思う。版画や修復の世界の人たちが高知の紙の評価を上げてくれているのはうれしいことだし。


行政レベルへの要望はありますか。

高知工科大学もできるし、紙関係の機関と提携して特徴ある楮の加工原料生産方法を研究して、新しい紙の材料も開拓してほしい。私たち素人の仕事はソフト面のことになるけど、若い人が紙を研究する学科が大学にあればという夢があります。いつか、今は全く考えられないようなところで紙が大事になる時が来るかも知れない。世界中の協力を得て、発展していって欲しい。


そういう時に必要になる紙は和紙の系統というか、発想のものかも。

本当の純粋な紙になってくると思う。そこで復帰するまでに絶やすわけにはいかないと。次のステップへ行くために。紙の可能性に夢を託しているといったところです。

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