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文化財修復 半田 正博 Masahiro Handa
修復師(東洋絵画・文書)。
東京国立博物館内修復室に (株)半田九清堂より出向。 和紙を使った文化財修復が専門。 |  |
| 取材の窓:1996年7月15日。上野公園のはずれ、緑に囲まれた東京国立博物館の地下にある修理室で半田氏に取材。国内外の東洋絵画や文書の修復に知恵と技と紙を駆使して取り組む。古今東西の紙の知識はもとより、新しい技術にも詳しく、意欲的な全国の紙漉き職人と強いパイプを持つ。氏のもとには世界中から紙の情報が自ずと集まるようだ。その仕事と同様、言葉にも繊細な方である。「高知はお小遣いで行くにはちょっと遠い」と少年の笑顔だった。
- 修復に使う高知の紙は分量的には多いですか。
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量はそんなに多くはないです。美濃と吉野、小川、九州の八女も使います。今は小川でも輸入楮が圧倒的で、文化財修復に使うものは国内産の楮だけでやってほしいと、現場に行って掛け合うことも。典具帖は美濃で漉かなくなった今は土佐が圧倒的ですが、美濃でも太田さんが典具に近い紙で頑張ってます。
典具帖は手漉きにこだわると土佐の浜田さんですが、場合によっては鹿敷製紙さんの機械漉きの均質な薄さもいい。ちょっと繊維で押えたい時には大野さんが遊びで漉いてる極薄の紙が役に立つし。
紙漉きさんの名前入りの見本帳があればいいですね。たまたま誰かの漉いた紙を見て、こんな紙漉いてもらえるかな、となりますのでね。たとえば美濃の長谷川君。よそから入っているんですが、熱心にこちらの考え、思い入れに応えてくれる。うだうだ無理を言う時は土佐の井上さんにお願いする。この前もわざわざ板干ししてもらって感謝感激でした。今日より明日とやってくださる方と出会いたい。この頃は産地の人の顔が見えて来るようになって、特に最近は土佐の紙を意識しています。
写真 雁皮紙による補紙作業
今修復中の屏風に点々と乗せてある紙は何ですか。
この紙は養生紙で、化学繊維ポリプロピレンの紙です。膠の剥落止めに、重しを乗せて置きますが、和紙とちがって表面の膠に繊維が残らないんです。これも高知の紙ですよ。
写真 養生紙で膠を固定する
伝統的な和紙だけではなくて機能紙も使われているとは知りませんでした。もとの用途は?-
フィルターとかエアクリーナー用でしょう。使い捨てカイロ用の紙も商品化以前から使ってます。かつては手漉きの紙に柿渋を引いて、洗って使いましたが、今はこういうものがあるので。
紙の復元に関するエピソードを。-
手漉きにはこだわるけど原料処理をきちっとしていれば機械漉きの紙もありがたい。でも小回りがきくのは手漉きの人。高知の試験場(現在は県立紙産業技術センター)の大川さんとは20年近くの付合いですが、復元的な補修紙で数枚で良い時など、自ら漉いてくれたりね。大川さんとの出会いは大きい。顔も見ない頃にうちで修復した陀毘紙を彼に調べてもらったら、言われているような香木は入ってないと。これは文献にあるまゆみ紙ではないかというんですね。最近法隆寺館の陀毘紙に書かれたお経が同じ表情の紙だったので調べてもらったら、それもまゆみ紙だった。まゆみ(檀、真弓)紙という言葉はあったけど、どの紙を指すのかわからなかったんですね。その補修紙を大川さんにまゆみの木で漉いてもらいました。
国宝の応挙の屏風を解体したら、米粉入りの、いわゆる糊入りという紙で裏打ちされていた。大川さんにも調べていただいて、井上さんのところで裏打ち紙を復元してもらった。後ろに行くもの(裏打ち)も復元できるものは極力そうしたくて。井上さんには無理難題ばかり言ってて、「厚紙漉いてよ」とか。6匁の紙を10枚漉き合わせてもらったり。厚紙は普通うちで糊で合わせますが、漉きあがりを合わせたら、柔らかくてしっかりしたものができるので。
修復に土佐典具を使うのはどんな場合ですか。-
切れているものをつなぐとき、両面文書などは裏がないので表面に当てる。それには紙が当たってるのを感じないほどの薄いものがいい。
以前シナイ半島のセントカテリーナ修道院へ撮影のための手当てに行った時、機械漉きもしゃくなんで手漉きを持っていった。発掘物の両面文書の処理で、やってみたら簀形が表面に感じられるほど出てしまって、ああ、機械漉きでやれば通ったかなと。
ヨーロッパからの技術で、虫喰いだらけの本や文書に紙を漉き込む漉き溜めという技術があります。漉き舟のなかに文書を沈めて溜め漉きで紙の繊維を穴に漉き込み、復元的に平らな紙に戻す。それなんかも上質の機械漉きの典具帖で裏打ちするといい。
バチカンでも壁画の修復に和紙を使うそうですね。
ええ。あれは汚れのアク取りなんです。水張りしてフレスコ画の汚れを乾燥する時に吸い取る。あとは、典具帖系の紙を絵の具の剥落止めに。油絵の修復でもよく使っています。
アジア各地でも和紙が作られていますが。-
韓国の熱心な紙漉きさんで、文化財修復用の紙は自国の材料で極力自然な紙でという方もいます。フィリピンでは文書修理の典具帖をタイで漉いている。台湾でも土佐楮や那須楮を試験場で栽培しています。純化して繊維が太くなっていきますが。中国の良い紙は青檀(せいたん)の紙です。東洋では主に樹皮を使い、ヨーロッパは麻やコットンを使う。だからやろうと思えばアジアでは和紙にかなり近いものはできるんです。ヨーロッパでは紙は代用品で、古いものを見ると、いかにパーチメント(羊皮紙)に近い紙を作ろうと努力したかがわかります。
高知の産地的な特性についてはどうでしょう。-
基本的に、昔から土佐ほどあらゆる紙を漉いた産地はないでしょう。僕はいつのまにかそういう思い込みがありますよ。みんなが同じものを漉かないから、他の産地に比べて残った率が高い。よその特徴をうまく取り入れるのが土佐の特徴だと思います。
吉井源太さんだけじゃないんですよ。それ以前からそうだと思う。江戸期を通して大阪が集積地だった時代、越前や美濃の紙は一定の値がするから、大阪の紙問屋が土佐の地元問屋にこんな紙を漉けと言えば、漉いちゃうんですよ。越前から陸路で運ぶより、土佐から海路で大阪へ運ぶほうが安いから。そういうことが絶対あると思う。で、明治政府になって輸出産業という時に、輸出紙で一番がんばったのは土佐ですから。需要に応じた潜在技術を持っているから一番応えやすい。だから土佐ってやっぱりすごいところだ。
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