かつて絵金が生きた赤岡町に生まれ、物心がついた時から夏祭りには、絵金の芝居絵を見るのが楽しみだった。絵金の最も優れた作品が残っているという環境のおかげで、絵金の絵の真贋を見る目も自然にやしなわれたのではないかと思う。さまざまな評伝のなかで、絵金は大酒飲みの暴れ者といったアウトローのイメージで描かれてきたが、40年程前まで生きていた最後の弟子たちは、絵金は律儀で、家族を大事にする子煩悩な人だったという。酒に酔った勢いで絵を描くこともなく、骨の髄から絵を描くことが好きだったと、ゆがめられた師匠像に憤慨もしていた。絵金の描く芝居絵は、当時、舞台の上でエキセントリックなまでに演じられていたもので、流血の場面もトリックを使って実際に行われていた。当時、芝居は日常を越えたところにあり、カタルシスをもたらす場所でもあった。そういう意味でも、絵金の描く芝居絵は当時、決して「異端」なものではなかったと思う。「異端」とは、むしろ、現代の視点から見ての評価なのではないか。私自身は、写実を越えた絵金自身が描く歌舞伎の世界、その醍醐味に惚れ込んでいる。そして、その魅力は研究すればするほど深まってくるのである。
私の曾祖父が絵金の弟子であった。以来4代にわたって土佐凧、フラフを製作している。私の父はその曾祖父の影響もあってか、絵金の描いた白描画を愛し、生涯をかけて買い集めてきた。昨年、その所蔵絵画約300点を皆さんに見ていただこうと、自宅を絵金資料館として開放した。私は子供の頃からその白描画を見ながら育ってきたが、父は絵金の真贋を見定める際、一般的にいわれる顔や手足ではなく、背景に描かれている風景に目を置いていたようだ。そこに狩野派たる絵金の筆法を見ていたのだろう。私自身、こうして何十年間も彼の白描画を見ているわけだが、何度見ても欠点が見当たらないし、見飽きるということがない。写楽をさらにモダンにしたような感じで、とても百数十年前のものとは思えない時代性がある。絵金といえば屏風絵のイメージが強いが、花鳥、山水、唐人物、謡曲、動物など、狩野派に学んだ筆致と天賦の才をぜひ見てほしい。おそらく、絵金のような個性とデッサン力を持った画家はもう出てこないだろうと思う。吉川さんは、高知県でも唯一の土佐凧伝統継承者。息子でもある5代目・吉川毅さんにその技法を伝えるとともに、白描画の保存にも力を注いでいる。
いままで絵金は民俗学的にとらえられてきたが、絵金の描いた芝居絵は近代絵画全体から見ても、大変力量のある絵師であり、画面の構成力には非凡の才能を感じさせる。こういった美術的な面から見た絵金をテーマに研究し、紹介してゆくのが高知県立美術館の姿勢だと思っている。昨年、絵金保存調査委員会の発足とともに、現在どのくらい、絵金の作品が残されているかを追跡調査したが、その集まった200点あまりの芝居絵を見てみると、かなり多くの絵師が描いている。芝居絵は、いわば当時の看板であり、グラフィックアートに近いもので、作品には署名がなく、これが絵金だと選定するのが難しい。今後、これをどのように分類し、整理していくかが課題でもある。絵金の絵は、ひとつの画面のなかに時を追って絵を読んでいくことができる。つまり、絵を見れば芝居のストーリーがわかる。私自身は、その構成力に惹かれるし、描写力に大変興味がある。絵金の絵はどうしても血みどろ、エログロというイメージが強いが、彼自身はデカダンで退廃しているというよりはむしろ、あっけらかんとした、まさに土佐人気質の人ではなかったか。これから研究を進めていくなかで、その絵金の魅力を掘り下げてみたいと思っている。
取材協力:近森敏夫、吉川登志之、吉川毅、川島郁子
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