絵金アートを探る絵金の作品には、驚くべきさまざまなテクニックが凝らされている。
そして、その絵のなかには禁じられた狩野派の筆法が
魑魅魍魎たちに姿を変え、
血を流し、叫び、祈るように封じ込められているのだ。
その絵金アートの真贋を探る。
地紙 絵金の屏風絵、襖絵は、「地紙」と呼ばれた生粋の土佐和紙に描かれている。屏風絵は1間四方、襖2枚を最初に屏風に表装したものにダイレクトに描いたもの。描いた後に表装するという当時の一般的な手法からするとまったく逆の方法を用いていたことになる。その真っ白な屏風に、絵金は下書きもせず、たっぷりと墨を含ませた筆で一気にデッサンしてしまう。そのデッサン力は天才的なものがあった。その絵のベタ塗り部分を弟子が塗り、その上から絵金が手足や顔、衣装の柄や模様、輪郭を描いている。 | |
泥絵絵金の絵は泥絵の具、現代でいうポスターカラーを使ったもので、当時、オランダから安く輸入されていたらしい。絵金はそのポスターカラーに動物の脂肪から作られた〃にかわ〃を湯せんで溶かして混ぜ、色どめとして用いた。現代にも生々しいまでに鮮やかな色彩を放つ絵金のあの赤、黄、緑、青は、この巧みな色彩技術の導入によって保たれているのである。 | |
顔・手・足絵金の真贋を問うとき、評されるのが絵金の顔・手・足、そして髪の毛である。そこを見れば、絵金自身が描いたものかどうかがわかるという。手足の踏ん張り、その強さ、輪郭を描く筆のスピード感。その違いは、歴然とわかる。髪の毛は、ひと捌けの筆線のなかに最後の仕上げとして、蝋燭の蝋でなぞって髪のひと筋ひと筋を出す。蝋燭の灯りのなかで髪の毛が生きて動いているように見えるこのテクニックは、本格的に狩野派を学んだ者が持つハイレベルのもので、誰もが真似できるものではなかった。 | |
芝居絵生首が飛び、おびただしい血が流れる絵金の芝居絵。それゆえに〃異端〃とも〃グロテスク〃とも呼ばれるわけだが、当時の歌舞伎の舞台では、さまざまなトリックを使ってこのように首が飛び、血が流れ、ハラキリの場面では内蔵までが飛び出していた。つまり、それが当時の歌舞伎の世界だったのである。絵金の絵が優れているのは、1枚の絵のなかに演劇空間を持ち込んでいる点。絵を見れば、芝居のストーリーが一目瞭然にわかる。芝居絵は現代でいう看板であり、ポスターである。 | |
酒蔵絵金の劇画工房ともいえるアトリエは酒蔵であった。大酒飲みゆえに酒蔵だったとも言われるが、実はそこには画家としての制作上での知恵があった。土蔵づくりの酒蔵は床が平たく、温度も湿度も適度に保たれていた。絵を描くには最適な環境だったのである。その酒蔵の床に屏風を寝かせ、両手に6本の筆を持ち、絵金は驚くほどの早さで描いた。1日に大屏風絵1枚、絵馬提灯百数十枚を仕上げたと言われる。その筆は、どこから始まりどこで終えるのか、そばで見ている弟子たちにもわからなかったという。その絵金に酒蔵を提供したのは、彼のパトロンでもある赤岡町の旦那衆たちであった。 | |
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96/7/1更新 (C)高知県