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大学3年在学中の昭和57年(1982),第17回民音指揮者コンクールで第1位に入賞。
昭和58年(1983),民音入賞記念コンサートとして,各地のオーケストラを指揮。7〜
8月には,ボストン交響楽団主催のタングルウッド音楽祭にパークシャー・ミ
ュージックセンターのフェローシップ・コンダクターとして招かれ,クーセヴ
ィツキー指揮大賞を受賞する。同賞の受賞は日本人としては昭和35年(1960)の小澤征爾
に次いで,2人目という快挙であった。
昭和35年(1960)東京に生まれる。5才よりピアノを高柳朗子氏に,15才より指揮を
高階正光氏に師事。桐朋学園大学音楽学部指揮科に入学,指揮を故森正,小澤
征爾,秋山和慶,黒岩英臣,尾高忠明の各氏に師事。卒業後,同大学研究科に
入学しさらに1年間研鑽を積む。
昭和59年(1984),ボストン交響楽団に副指揮者として招かれ研鑽を積み,新日本フィ
ルハーモニー交響楽団第117回定期演奏会でデビュー。同年5月より1年間
ベルリンに留学。留学期間中,再びタングルウッドにフェローシップ・コンダ
クターとして招かれる。2回のタングルウッドを通じ,レナード・バーンスタ
イン,アンドレ・プレヴィン,クルト・マズア,レナード・スラットキン,ジ
ョゼフ・シルヴァースタイン等世界の第1級の指揮者に師事した。
昭和60年(1985)「第11回若い芽のコンサート」にてNHK交響楽団を指揮。
昭和61年(1986)4月には,ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会を
指揮してヨーロッパ・デビューを飾る。
昭和62年(1987)2月には再びストックホルム・フィルに招待された。6月,ロッシー
ニの「シンデレラ」を指揮してオペラ・デビュー。
昭和63年(1988),ゾーリンゲン市立管弦楽団を指揮,好評を博した。
平成元年(1989)4月と平成4年(1992)2月にはNHK交響楽団の定期演奏会を指揮し,非常に
大きな注目を集める。そのほかにも日本の主要オーケストラの定期演奏会にあ
いついで招かれている。
昭和63年(1988)群馬交響楽団の指揮者に就任,翌年4月より平成4年(1992)3月まで正指揮者
を務める。
平成4年(1992)9月から東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団常任指揮者に就任。
平成6年(1994)5月から広島交響楽団音楽監督に就任,就任記念の第147回定期演
奏会ではマーラーの交響曲第7番「夜の歌」を指揮し注目を集めるなど,意欲
的な活動を行っている。
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