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楽団ロゴマーク
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中・四国唯一のプロオーケストラである「広響」は昭和38年10月12日広島在住の演奏家の
手により「広島市民交響楽団」として発足。昭和44年に「広島交響楽団」と改称。
昭和47年(1962)9月,広島県教育委員会より社団法人広島交響楽協会の認可を受け,アマチ
ュアからプロの楽団へと生まれかわる。
昭和59年(1984)には音楽監督・常任指揮者に日本音楽界の重鎮であった渡邉曉雄氏が就任し,
演奏内容・楽団規模とも大きく発展した。
昭和61年(1986)4月,渡邉曉雄氏の後任に高関健氏が,平成2年4月より田中良和氏が音楽監督
・常任指揮者に就任し,数多くのファンを魅了した。
平成6年(1994)5月より十束尚宏(とつかなおひろ)氏が音楽監督に就任し,就任記念の第147回定期
演奏会では地方オーケストラとしては画期的ともいえるマーラー交響曲第7番「夜の歌」を指揮し,
日本経済新聞紙上で高い評価を得るなど,今後その手腕を大いに発揮するものと期待されている。
平成3年(1991)10月24,25日にウィーン国連事務局とチェコ政府の招きによりウィ
ーンとプラハで「広響国連平和コンサート」を開催。両国で熱烈な喝采を浴び新鮮な感動を巻さ起こし,
平和文化使節としての大役を果した記念すべき年となった。
平成4年(1992)8月,「プロ改組20周年記念スペシャルコンサート」を開催。田中良和氏の指揮でストラ
ヴィンスキーの3大バレエ音楽を一晩で一挙演奏。大きな反響を呼んだ。
同年10月,平成6年(1992)10月に広島で開催された第12回アジア競技大会の公式オーケストラとして
認定される。
平成5年(1993)3月,初の東京・大阪公演を東京芸術劇場とザ・シンフォニーホール大阪で開催。多くの
聴衆に感動を与え大成功を収めた。なお大阪公演は '94年2月の「音楽の友」誌上で大阪の評論家,
出谷,福本両氏より1年間の「コンサートベストテン」の一つに選ばれ,東京公演はライヴ録音され
広響のデビューCDとして平成6年5月より好評発売されている。
平成6年度(1994)は150回定期演奏会記念シリーズを3回行い,その1回目の7月7日の第149回では
世界的なポーランドの作曲家のペンデレツキ氏を招き,彼自身の「広島の犠牲にささげる哀歌」などを
演奏。続く第150,151回では「愛と平和」をテーマに行い,東京・大阪などからも注目を浴び
話題となった。
アジア大会公式オーケストラとしては,芸術展示プレイペントとして '94年4月9日,韓国KBS
交響楽団を招へいしジョイントコンサートを開催。大成功を収めるとともに,オーケストラが外国の
オーケストラを招へいした例はめずらしく話題を呼んだ。
また '94年8月1日にはアジア競技大会「芸術展示」オープニングイベントとしてすべての曲目が
アジアの民族楽器とオーケストラという画期的なプログラムの「第4回アジア音楽のタベ」を開催し,
芸術展示の開幕を祝う。
現在「広響」は広島国際会議場フェニックスホールを拠点とする年9回の「定期演奏会」を始め,
個性的なプログラミングで話題の「特別演奏会」,地元教育委員会と共催の「巡回コンサート」や小・
中・高「学校コンサート」,広島市PTA協議会と共催の「マイタウン・オーケストラ広響」での市民
に密着したコンサート,また島根定期演奏会,呉定期演奏会,福山定期演奏会での各地域の文化振興と
なるコンサートなど,年間約150回に及ぶ演奏活動を行い,ますます広島の一大文化団体としての
役割を担いつつ,より地域に親しまれる「コミュニティ・オーケストラ」としてその活躍を期待されて
いる。
これまでに客演指揮者として,山田一雄,Z.コシュラー,朝比奈隆,屋高忠明,井上道義,レイト
ン・スミス,フェドセーエフ,パイヤール,ペンデレツキ等と,ソリストではチョーリャン・リン
(Vn),ポリス・ベルキン(Vn),棟木繁夫(P),花房晴美(P),ブルーノ=L.ゲルバー(P),
堀米ゆず子(Vn),エマニュエル・アックス(P),イリヤ・カーラー(Vn)等と協演する。
受賞歴としては,「広島市政功労者賞」「広島文化賞」「広島ホームテレビ文化賞」「地域文化
功労者(文部大臣表彰)賞」である。