熊野筆(安芸郡熊野町)

 熊野筆は,江戸時代の末期に作られ始められたといわれています。
筆の原料となる竹や毛がない所に,筆が生まれた背景には,次の理由があります。
 江戸時代の頃,熊野町は,農耕地の少ない所で農閑期になると男子の多くは,大和(現奈良県)の吉野 方面に出向いて山林作業などに従事していました。
農繁期前に熊野に帰る際に,奈良地方の筆や墨を仕入れ,行商をしており,この出稼ぎの村民たちが, 筆作りを思い立ったのが始まりです。

 弘化3年(1846)頃,熊野の住人井上治平が安芸藩主浅野家御用筆司吉田清蔵から製筆法を習得した。 また,同じ頃,熊野の乙丸常太が,摂津(現兵庫県)有馬で製筆法を修得し,それを地域に伝えました。
 明治5年(1872),学制の発布で,筆の需要が増大。同10年(1877)には,内国勧業博覧会で 入賞,熊野筆の品質の高さが世に広まりました。

 現在,町内の製筆事業所は約140所で従業員数は約4,000人。
生産量約1億4千万本,出荷額80億円を超え,全国シェア80%です。
現在,毛筆は不振ですが,絵筆や,化粧筆の新商品開発を行い生産額を伸ばしています。
 昭和10年(1935)から毎年9月には,榊山神社境内で「筆まつり」を盛大に挙行しています。
全国から集まった使い古しの筆の供養,競書会,製造実演などでにぎわいます。
 また,平成6年(1994)には,町おこしの一環として「筆の里工房」を建設し,「筆の町熊野」の イメージアップを図っており,全国からの観光客でにぎわっています。
 昭和50年(1975)には,本県ではじめて,国の伝統的工芸品として指定されました。


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