広島湾一帯では,縄文・弥生時代から,住民が天然のカキを食べていたことが,貝塚から出土する
カキ殻からわかります。
養殖への移行は明らかではありませんが,天文年間(1532年〜1554年)に安芸国でわが国最初の養
殖法を考案したとする説や,寛永年間(1624〜1643)に仁保村渕崎(現南区仁保)吉和屋平次
郎が石蒔養殖からひび建養殖法を開発したとする説などがあります。
同じ頃,矢野(現安芸区矢野)や草津(現西区草津)にもひび建養殖法開発の伝説があり,各浦で技
術開発を競っていたことが伝えられています。
ひび建養殖法は,満潮線と干潮線の間に限られていましたが,大正15年(1926)に垂下養殖法
が開発されて,沖合養殖が始まり,昭和になると次第に主流となりました。
戦後,戦時制限されていた沖合い利用が可能になると,垂下式も杭打式から筏式へ移り,養殖場も
広島湾から周辺海域へと拡大していきました。
また,近世中期にはカキ船が大阪の川へ現れるなど販路の拡張にも努めています。
こうした時代を経て,現在では広島のカキは全国有数の産地として栄えるようになりました。
カキ料理には,酢ガキ,土手鍋,カキの殻焼き,カキフライなどがあり,いずれも冬の広島を代表
する味覚です。
最近では,加工技術の発展を利用してカキ煎餅などの新商品も開発されるようになりました。
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