明治41年(1908)5月16日、公衆無線通信を取り扱う海岸局として銚子無線電信局と、同じく船舶局として東洋汽船所属の天洋丸無線電信局が同時に開局しました。その後12月までに、上記2局を含めて海岸局5局、船舶局10局が開局しました。当時はまだ無線局の私設は認められていなかったため、開局した無線局はすべて逓信省の所属であり、通信士は逓信官吏でした。民間の船でも、その通信室だけはお役人がいる役所であり、この状況は大正4年(1915)無線通信法ができるまで続きました。