日本政府はデンマークの大北電信会社に海底電信線敷設の許可を与えました。同社は明治4年(1871)6月に長崎〜上海間、同年10月に長崎〜ウラジオストク間の海底電信線を完成させ、日本と海外との電信通信を開きました。これにより、海外からの情報が早く入手できるようになり、貿易産業に朗報をもたらしました。