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1950年(昭和25)に始まった朝鮮戦争は、北緯38度線をはさんで朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が武力衝突、後に朝鮮半島を南北に分断化する結果となります。この戦争にはアメリカを中心とする16カ国が国連軍として参加、その基地となった日本は、物資調達の役割を担うこととなります。これが、「特需景気」となって戦後の産業、経済をよみがえらせ、新しい日本の産業構造をつくっていくことになります。金属、機械の需要は重化学工業化をすすめ、のちに日本の代表的企業となるトヨタ自動車は、この時トラックの製造を大量に受注して不況を克服していったのです。東京の街はにわかに活気づき、ビルラッシュとなります。ビルには当然電話も必要とされました。量産化が進んだにもかかわらず、「すぐつかない電話」の時代は続いていきました。
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