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満州事変をさかいに市外電話がさかんに使われるようになっていきます。この頃の市外電話はまだ手動交換で、厳しい財政下では、設備増加は思うように進みません。昭和13年、東京から大阪へつながるまで7時間5分、もはや特急を乗った方が早く用件が済むなどといわれる状態。しかも、一度申し込むとつながるまで電話のそばをはなれられず、申し込んではみたものの結局は取り消してしまうことが多々ありました。国家総動員体制下の政治、軍事そして各種産業活動にとって、鉄道輸送と市外電話は何よりも増して重要な時代。通話の自粛が呼びかけられます。
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