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当時、世間一般の電話に対する認識は低く、加入者数は一向に増えませんでした。PRのために財界人、新聞記者などを招いて電話交換の実演を行うのですが「こんなに敏速にはっきり通話を伝えることができるのであればコレラ菌も伝えるに違いない」というという噂がたつ始末。この頃、日本の都市は何度かコレラの流行に見舞われ、上下水道の不備も手伝って、全国で10万人以上の死者が出たと言われています。不平等条約下にいた日本は、海港検疫権を持っておらず、海外からのコレラの伝染を阻止することができなかったのです。日清・日露戦争の死者を上回るその数に、コレラは戦争よりも恐ろしいものといわれていました。
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