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明治10年、薩摩に帰郷した西郷を追って九州にやってきた反政府に燃える若者たちと明治政府の間にスパイ事件が起こり、西南戦争が始まります。政府軍は、東京−長崎間や九州各主要地に張り巡らされた電信線を利用して戦局を有利に導きます。反乱軍は、電信手と見ると襲撃し、電信線見つけると切断するといった有様。技術者たちは通信の確保と電信線の延長のため戦地へ赴きました。以後、電信の効用は一段と認識されるようになり、年間40万通から50万通程度にすぎなかった電報通数は、西南戦争後は90万通〜150万通を突破するようになりました。この西南戦争を乗り切ることで明治政府の支配は固まり、武力反乱は消え、代わりに言論に訴える自由民権運動が芽生えていくことになります。
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