昭和22年(1947)、すべてが困窮の極みにあった戦後復興のさなか、東京都内の公衆通話はそこそこに復旧しはじめました。都電のおもな交差点に設置された“回数券売場兼事故連絡所兼ポスト兼公衆電話兼広告塔兼”の都交通局のサービスボックスをはじめ、焼け残った電話ボックスに加えて、
さまざまな公衆電話ボックス
が登場しはじめました。