明治末期に登場した赤塗り六角形ボックスは、明治44年度には全国で200か所に建てられ、
自働電話
は庶民の電話として活躍しました。民間需要も一層高くなり、
電話売買
も盛んになり、一時は400円を越す高値となりました。