孤独な前衛芸術家―荘輝
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文:加藤久佳



 1994年初頭、青年芸術家・荘輝は河南省洛陽郊外の馬溝村において“中国・平民芸術実験村落”と称する活動を発起した。 彼は全国各地に『中国・平民芸術1号実験村落』略報1号の檄を飛ばし、「これは不断の模索芸術実践活動であり、芸術が長期に亘って沈殿鬱積してきた多くの制限を打破し、中国の公民をして芸術家と共に本来の姿を注視させ、現実を批判し現代社会の実質を余すところなく表出することを旨とするものである」と宣言した。 そしてこの活動に参加する意志のある者は、自ら適当である場所で実験作品を制作し、簡潔に整理して一報すべし、一段落後これらを集結或いは分散して展示し、その後全作品を収録した本を編纂、内部交流に供する、との活動方針を打ち出した。

 1996年6月、私たちが訪問した時、彼は北京の貧しい一般庶民が暮らす胡同の中の家具という家具もない狭い一室で暮らしていた。屈託のない笑顔で彼が語ってくれたのは、ザッと以下のようなことだった。

 80年代の初期に“星星”美術展が開かれて、中国の現代芸術活動が始まった。 この展覧会は一つ一つの作品がどうこうというより、自我の表現が人間の精神活動の基本的な形で、芸術家は絶対そうした自我表現をすべきだし、その権利を確保しなくちゃいけない。それが芸術家の尊厳で、この尊厳は一作品より重たい。 権力はこうした表現の自由に対して本質的な破壊を試みる。だから、自我表現と表現の自由の獲得闘争は切り離せない両刃の刃だ、芸術家はこれを避けては通れないという事を知らしめる役割を果たしたんだよ! 中国の社会、学校教育の中では“標準”意識を前提とするのが当たり前になっているけど、これが大いなる錯誤というわけだ。 芸術は個人の原始的創作なんだから!

 最近の芸術家は材料を手に入れて、自分の安易な観点にそくして組み立てたり、並べ立てたりする人が多いんだけど、僕にとっての問題は表現行為の中の芸術言語(思想)なんだ。 それが体現されなければ、作品を見る人たちに何の刺激も与えられないし、彼らと話しもできない。 芸術言語はどのような角度から切り込んでも構わないんだけど、重要なのはそれが自分自身のものであることだ。 見る人にある種の変化を起こさせることが重要なんだ。もちろん芸術作品は創作者本人だけの創作では駄目だよ。

 友人の艾末末に言わせると、芸術家の役回りは社会のウィルスと言うことだよ。コンピーターウィルスと同じで、ちっぽけなデザインで理性社会全体に変化を起こさせるって訳だ。 もし、芸術がある種の公共道徳だったら、科学的成果に全く歯が立たない愚にもつかないものになっちまうだろ! これは僕たちの周囲を取り巻いている強大なシステム、言語の標準化、欲望の標準化、情報の独占による個人の意志、精神存在の絶滅という恐るべき状況に対する芸術の挑戦なのさ。

 中国人の僕たちの周囲を取り巻く状況は数百年間積もりに積もった文化的重荷と経済的困窮以外に、本来の意味の前衛が存在してないから問題なんだ。 後ろにつづいてくる根拠があって始めて前衛の意味があるんじゃないか。これは中国の芸術家特有の問題だよ。 しかも、生活のスピードがドンドン速くなっちゃて、いろいろな問題が曖昧模糊になりやすいだろう。 だから、自分の生活周辺の小さな問題を一つづつ掴んでいくようにすることかな。

 商業主義に流される潮流も問題だよ、実際去勢されるような感じだもんね。中国の多くの芸術家は伝統的な文化のルーツ探しに熱を上げているけど、もちろん僕は文化が普遍的なものだとは思っていないから、彼等の努力が将来の我々に意義があることをしているとは思えない。過去に栄光ある文化を作り上げた世界中の多くの国や民族が、その偉大さを振り回した所で、現在的な問題を解決できないでいることを知っている。中国もその事に気がつくべきだし、現在の自分自身の問題の重要性を考えなくちゃいけないよ。

 僕たちがやっている実験は行為芸術といわれる表現なんだけど94、95年の活動で一息ついた感じかな。 新しい試みだったし問題も多かったんだけど、二年間の活動で経済的にも発想的にもちょっと息が切れているんで、今は個人個人がまた散らばって反省期にはいっっているといったとこだよ。 表現の方法にしても、活動の維持にしても活路を見いださなければならないんだ。 そうそう、この二年間の実験制作を本にした内部資料は約束通り出版されているよ。94年が黒書、95年のが白書って名前がついている。 資料にない新しい作品あるんだけど、見てみるかい?

 この作品、面白いかい? 写真の中の僕のポーズは変わっていないだろ。 ほら、子供がいれ替っているのさ。こっちは、農民一人一人が替っているだろ。 こっちは労働者が、ネッ! ああ、芸術家連中のやつはもう撮ったんだけど、いまここには無いんだ。 25枚組で1作品にしようと思っているんだよ。 展覧会もやりたいんだけど、手元不如意でね。 まぁ、地道にやっていくよ。 君達に何か企画があったら、僕だけじゃなくて仲間のみんなとも一緒に考えてみたいな!

 現在離婚して一人暮らし、子供もなし。 本人は家庭的責任を果たすことは自分の本意であるといっている。

 彼は、中国の前衛である。



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