Long Interview


♪♪気分は最高ね♪♪


孫 悦・・・・・歌手・女優
石川郁・・・インタビュアー

■二枚目のアルバム・・・

石川:お忙しいところありがとうございます。二枚目のアルバムの準備はどう?

孫悦:一枚目よりいけると思うわ。半年かけて丁寧に六曲選んだんだもの。

石川:『お達者で(祝ni平安)』のヒットに続く第二弾、緊張する?

孫悦:緊張はするわね。 一枚ごとに慎重に曲選びをして、位置づけを考えて、それにMTVやらプロモーションやら……。でも正大国際製作センターは力のあるいい事務所だから、94年2月に所属して以来、ずっとうまくいってるわ。事務所とかプロデューサー、それにプロモーションがものを言うからね。もうすぐ契約更新なの。

■生まれは?

石川:ところで生まれはハルピンでしたっけ。

孫悦:そう、ハルピン育ち。 19歳の時北京のコンクールで3等をいただいて北京に出てきたの。当時国内最高のコンクールだったからね。ハルピンにいたころは、歌が歌えるなんて思ってもみなかった。 もとは軍の通信兵で、非番の時間に文芸隊で踊りも歌もやったけどあくまでもアマ、復員したら先生になろうと思ってた。それがいきなりプロのコンクールに出て3等なんて、ツイてたのよね。 それ以来、中国鉄道建築総公司文工団と、それに今は正大国際制作センターにも所属してるの。

石川:歌はもともと好きだったの?

孫悦:父が京劇をやってたから、私もよく京劇の節を口ずさんでた。でも父は私には京劇をやらせたくなかったもんだから、私が歌いだすと「やめろ!」ってね(笑)。 父の影響はあるわよね。

石川:ってことは、あなたが歌手になるのも、ご家族は反対したのかしら?

孫悦:私が北京に残ることになったとき、家族は反対だったけど、娘が心からやりたいと思ってることを止めることもできず、結果的にはずっと応援してくれてる。デビュー以来ずっとうまくいってるのも、半分は家族の励ましがあってこそだと思ってる。

■歌手になるまで・・・

石川:『お達者で(祝ni平安)』のヒットから歌手生活が始まった?

孫悦:そう、ただ『年輪』っていうTVドラマのために二年近く歌のほうは休業状態だったけどね。でも『年輪』のオンエアと『お達者で(祝ni平安)』の発売が重なったから、私は本職が女優でついでに歌も歌ってると思ってる人もいるみたい。 本当は逆で、ドラマを撮ってるときはすでに今の文工団に所属してたの。でも、いい曲がないのに露出度ばっかり上がったらかえってよくないと思ってた。 そんな時、『年輪』がキャスト選びをしてて、30代で3人のお母さん王若松の役が自分にぴったりだと思った。でも実は当時私はまだ二十歳、役は60年代の化粧っ気のないすごく善良な母親、自分とはまるっきり違ってて、どうやって役作りしたらいいのか、さっぱりわからない。 父も製作に加わってて、プロデューサーも目をかけてくれる。「まずやってみよう。うまくいったら撮る、ダメだったら他の役だ」ってね。すごいプレッシャーだった。 でも、プロデューサーはプロ根性?を評価してくれたの。撮影が始まると役になりきって、二十歳の小娘だとは思いもよらないってね。

石川:あのドラマは評判よかったですよね。

孫悦:でも、それは私が歌手としてはよくやっているってことで、もし私の本業が俳優だったら、これほどの評価は得られないと思うの。だからね、今年この調子でうまくいったら、来年後半は電影学院で勉強しようと思ってるの。

石川:歌か芝居かどちらかっていうと?

孫悦:私自身は両方好きだけど、歌手か俳優かっていったらやっぱり歌手かな。

■デビュー曲・・・

石川:『お達者で(祝ni平安)』はご自分で選んだの?

孫悦:この曲を聞いたとたん、涙が溢れてきて何としても歌いたいと思った でも作詞作曲の劉先生としては知名度があって、自分の作品をよりよく表現できる歌手に歌わせたいと思うでしょ。で、初めはお願いしても同意していただけなかったんだけど、一ヵ月以上通い詰めて口説き落としたの。“一念岩をも通す”ね。 とにかくレコーディングしてみようってことになって、撮ってみたら、劉先生も大満足。私もテープを聞いて泣いちゃったわ。 しばらく歌ってなかったから、プレッシャーも大きかったけど、こんないい曲を逃したくなかった。採りおわって、劉先生もすごくいい出来だと言って、MTV製作もOK、歌唱権も売ってくれたの。

石川:じゃあ、これは私の曲!って感じ?

孫悦:いや、私のために書かれた曲って感じかな。 FM音楽台で流れた途端、劉先生や私のところに、リスナー、女性プロデューサー、作詞家、作曲家なんかから電話が殺到したの。 94年末から95年初めにかけて、ラブソングやフォークばっかり流行ってたところへ、突如この庶民の心を歌った飾り気のない歌が現われたでしょ。 「大丈夫? そんなにちょっぴり得るために、そんなにたくさん失って」ってね。 だれでも日々持ち出しで、でも得るものは大したことない。 当時これを聞いて、すごく感動したし、同じように人を感動させられる詞だと思って、がむしゃらに取り組んだ……。 すごくいい詞よ。もし他の人が歌ったら、その人が名を成していたでしょうね。この詞は息が長くて、子供からお年寄りまで幅広く喜んでいただけるロングセラーになるわよ。 この曲が出てから似たような曲がたくさん出たけど、どれも『お達者で(祝ni平安)』のレベルには達してないわ。

石川:この曲がヒットしたのは、ラブソングなんかが流行っている中で自然で親しみやすかったからってこと?

孫悦:中国には「天の時、地の利、人の和」って言葉があるの。 ちょうど暮れの誰もが「よいお年を」なんて言葉を交わす時期だったから、リリースした途端に受け入れられたのね。

石川:この曲はあなたの持ち味にぴったりだと思う?

孫悦:そうね。ただ歌い方はちょっと違うかな。 以前はもうちょっと大らかに歌ってたんだけど、ま、これは曲にもよるよね。 それに劉先生は今の細やかな声の方がいいっておっしゃってる。この曲で細やかで温かみのある声が私のスタイルとして定まったってところかな。あと数年の間は、たとえ歌が多少大人っぽくなっても、このスタイルは変わらないでしょうね。

■最近の傾向・・・

石川:どんな歌が求められていると思う?

孫悦:リスナーの半分はこれといった好みがないみたい。ある新曲が毎日テレビやラジオで流されればそれを素直に受け入れる。 ところが、去年から今年にかけては新曲も新人も出てない。いい曲が出ても受け入れられない。人々の意識が向いてないのね。 例えば去年はラブソングが多すぎて、ちょっとうんざりってところなのね。今何を出してもダメ。うちの事務所でも、アルバムの発売もMTV放映も見合わせてるの。9月か10月に市場が活気を取り戻してから出したほうが伸びるって読んだのね。 アイドル系も続出してリスナーは辟易気味。どの歌手もそれぞれの持ち味を活かした曲を歌うべきなのよ。歌手にとってプレッシャーのかかることだけれどね。 例えば身近なキャラクターと思われている私がハードな曲とか哀しい歌、ラブソングなんかを歌ったら、人々は受け入れられないかもしれない。かといって次もこういう身近な歌を歌ったら、いっつも同じような歌ばかり歌ってると思われるかもしれない。 『気分は最高(心情不錯)』は玄人好みの曲でもなく、おセンチなラブソングでもない、元気が出る曲だから、第二弾としてよかったのね。それで今日に至るまでうまくやってこれたのよ。

石川:平安な、身近なキャラクターからイメージチェンジしようと思う?

孫悦:それはないな、変えたくないわ。 だって、いつも飛行機に乗ると「あっ、孫悦じゃない。孫悦が乗ってるからにはこの飛行機は無事だ」なんて言われる。彼らにとって私は天使みたいなものね。やった!って感じ。 この曲には一種の安心感があるの、今のところこのキャラクターを変えようとは思わないわ。

石川:『年輪』にしても、中国の伝統的な素朴の美を体現してるわよね。ご自身のキャラクターもそうなのかしら?

孫悦:いや、ちょっと違うな。 歌手としてはきめ細やかで優しい女性というイメージを作ってるけど、私ホントはめちゃくちゃ明るくって男の子みたいにはしゃぐこともある。 でも今はアイドル歌手としてファンのイメージを壊さないように気をつけてるの。家に帰るともとのまんまの私だけどね。でも時には人前で大笑いしちゃったり、東北弁が出ちゃったり。方言はダメ、ファンの印象が悪くなるからね。

■国民的アイドル?

石川:ご自分のこと国民的アイドルだと思う?

孫悦:そんな大それた事!  ま、その三分の一かな。中高年向き、私の曲ってみんな平穏無事を祈る大人っぽい曲だから。でも『気分は最高(心情不錯)』は結構青春してるから、若い人も聴いてくれてる。

石川:ファンレターも年配の人からが多い?

孫悦:それが不思議なことに六、七割は女の子からなのよ。 普通女性アイドルには男の子からのファンレターが多いものなんだけどね。「孫悦お姉さん、大好きです」なんてね。年とっちゃったような気がするわ。 でも中高年の人からのも多いわよ。一度六十何歳の男性ファンがね、カセットテープにサインしたら、もう一つサインをくれっていうの。どこにだと思う? 若い人が腕にっていうのはよくあるんだけど、その人、腕じゃ洗ったら落ちちゃうって言って、上着をはだけてランニングにサインさせられたわ。こういう中高年のファンがいるっていうのもとても嬉しいことね。

石川:中高年のための歌ってまだ少ないわよね、若者向けばかりで。

孫悦:そうなのよ。その方が売れるから。 私のテープも買ってくれているのは若い人よ、だから若い人に喜んでもらえる歌も少しは歌わなきゃいけないのよね。レコード会社も売れると見込んで初めて発売するんだから。

■中国の芸能界・・・

石川:中国の芸能界もだんだん商業化してるわね。

孫悦:ポピュラー音楽は入ってきて日が浅いし、色んな面でまだまだこれからよ。 だから歌手はそれぞれ自分のカラーを追求していかなきゃって思うんだけど、レコード会社は売れ行きを重視するでしょ。 例えば私がある曲を歌いたいと思っても彼らが売れないと思えばダメ。個性的な曲は、出したところで受け入れられなければ続かないもの。リスナーのレベルも上がってないから、質の高い作品を出したいと思っている人はたくさんいるけど、今はまだ市場がないわね。 作詞作曲も意図に反して、売れそうな曲を書いてるわ。 でもリスナー第一よ、まずは受け入れてもらって、それからレベルを上げていくのね。競争だって激しいし。

石川:でも、そういう売り上げ競争に馴染まない人もいるんじゃない?

孫悦:そうね、売れ行きを気にせず歌いたいものを歌ってる人もいるわ。

石川:あなたは求められてるものと自分の表現したいものの間に矛盾を感じることってない?

孫悦:ないとは言えないけど、でも大したことないわ。今の事務所がイメージ作りにしても曲選びにしても私のキャラクターを考えてくれているし、私もこの線でいくのがいいだろうって納得してるから、特に大きな矛盾はないわ。

■やってみたいこと・・・

石川:流行歌もロックとかフォークとか色々あるけど、あなたはどれになるのかしら?

孫悦:叙情派、アイドル系かな。曲はメロディアス。でもロックやフォークも私の性格にはあってるけど。

石川:歌ってみようと思ったことある?

孫悦:ロックはないな。フォークは考えたことあるけど。でも歌ったことはないの。そこまでの技術がないみたい。 黒龍江省の声楽学院で勉強してた時、先生に私の喉は合唱や民謡には向かない、ポピュラーがいいって言われたわ。

石川:今は俳優業と歌手となさってるけれど、今後は?

孫悦:事務所が毎年スケジュールを組むの。アルバム一枚、それにドラマ、映画、CM、国外プロモーション……って毎日ぎっしり。

石川:海外ツアーなんかは?

孫悦:事務所は今年香港を考えてる。 こないだアメリカに行ってきたわ。結構好評で、事務所も今後向こうに力を入れようとしてるけど、私はアジアの歌手はアメリカには向かない気がするの。むしろ東南アジア一帯、シンガポール、香港、日本……まずは香港台湾で成功してから日本っていうのがやりやすいと思うわ。

石川:そうなっても、俳優業も続けるの?

孫悦:ええ。

■成功してからの生活

石川:成功してから生活は変わった?

孫悦:そりゃあね。 売れ出す前は気ままに旅行に出たり、友達と遊びに行ったりできた。でも今はちょっと時間があったらまず寝て、ちょっとトレーニングするくらいがせいぜい。ありったけの時間をファンのために使いたいと思ってるの。

石川:すごく疲れてるでしょ。

孫悦:もうしょっちゅう点滴打ってる。喉も腫れるし。そばに面倒見てくれる人がいないから。

石川:一人暮らし?

孫悦:そう。前は母が来てくれてたんだけど、家族をハルピンに置いてきてるから、そう長くいてもらうのもね。母を帰して、家政婦さんを探したの。

石川:レストランも経営なさってるとか?

孫悦:ああ、“気分は最高(心情不錯)”餃子館ね、あれは兄がやってるの。 兄はね、私が歌唱権とMTV製作権を買うとき、結婚を延期して資金を貸してくれたの。それがもとで彼女と別れちゃってね。 一番苦しい時に兄が助けてくれたおかげで私は今うまくいってるんだから、今度は私が兄を助けなきゃね。兄は商売に興味があって、ハルピンでも商社に勤めてたんだけど、ハルピンは混乱してるし兄の会社もあんまりよくなかったから、北京に呼んだの。どうにか時間を作って部屋や人員を探したり、時には仕事を手伝ったりしたわ。 今は商社も店もうまくいってて、二号店の準備も進めてるから安心してる。

石川:ところで、MTV製作とかプロモーションって普通歌手が資金負担するの?

孫悦:『お達者で(祝ni平安)』は自分で出したの。 でも今は正大と契約して自分で調達しなくてよくなったから楽になったわ。当時は苦しかったわ、プレッシャーも大きくて。だって歌の権利からMTV製作、プロモーションまで全部で十四万元もつぎ込んだのよ、もしポシャったら、どうやって返すのよ。

■忘れがたい思い出

石川:当時のことで、いちばん忘れがたい思い出っていうと?

孫悦:劉先生とレコーディングしてた日の夜のことね。 もともと劉先生はお金を受け取ってからレコーディングしようって言ったんだけど、お金は数日中に届くからってお願いして、とにかく始めたの。 初日夜11時過ぎまでやって続きは明日ってことになった時、劉先生は初め取れたところまでのテープをくれて「家で聴いてごらん」って言ってくれて別れたんだけど、何歩も行かないうちにまた呼び止められて「やっぱりそのテープは僕が預かる。まだお金をもらってないからね」って。 暗い夜道で涙が溢れてきたわ。結構泣き虫かもね。 あの頃はこの曲もらえるんだろうかとか、あれこれ悩みばかりですごく動揺してた。でも劉先生は私を信じてチャンスを下さったんだから感謝してる。テープを返した瞬間、たまらず泣き出しちゃったわ。 本当に辛かった。家に向かって歩いてると、向こうにぼんやり背の高い人と背の低い人が立ってるじゃない。両親だったの。 十何万元も送金したらすごく手数料がかかるから、汽車に乗って届けに来てくれて、その晩着いたのね。それまで両親の前で泣いたことは一度もなかったんだけど、その時は彼らを見た瞬間に母に抱きついて泣いちゃった。 母は「どうしたの?」って。これこれこうで、って話したけど、母も辛かったでしょうね。北京で娘がこんなに苦労してるって思ったら。 翌日両親からお金を受け取ると劉先生も恐縮してすぐに録音を開始したわ。 あの時のことは今でも忘れられない。

石川:賭けだったのね。自信はあった?

孫悦:大して自信はなかった。こんなに売れるなんて思ってもみなかった。ただ頑張ろう、いいものを作ろう、これがダメだったら二度と歌えないんだってそれだけ。 誰でもチャンスはただ一度、それを逃したら二度とない。まさに正念場よね。 ついにはこの曲が徐々に売れだしたのはプロデューサーの鞠鵬さんが私を正大に連れていって契約させてくださったお蔭。当時江社長はそんなに乗り気ではなかった。私は特別きれいでも歌が特別うまいわけでもないから。 でもプロデューサーは江さんに、「まず契約しよう。彼女のアルバムを出して、もし売れなかったら費用は僕が負担する。売れたら彼女と契約すればいい」って言ってくれた。私もプロデューサーもすごいプレッシャーがあったわ。正大は承諾してくれた。 レコード会社はとても慎重でしょ、見込みのなかったらそう簡単に歌手と契約はしないはず。江社長の読みは正しかったのね。 ファーストアルバム『気分は最高(心情不錯)』も発売以来そろそろ半年になるけど、皆さんのお蔭でテープは今でも動いててもうすぐ30万本。国内の音楽テープは10万行けば上出来という中でよ。すごく満足してるわ。この分だと次のアルバムも行けそう。

石川:賭けに勝って“気分は最高”でしょ?

孫悦:その通り! 『お達者で(祝ni平安)』に続く第二作が『気分は最高(心情不錯)』。皆さん「孫悦の気分は最高だね」って言ってくださる。

石川:このチャンスがなかったら、今のあなたはなかった――。

孫悦:そう、今頃家で寝転がって、昼寝でもしてたに違いないわね。

石川:狙いが正しかったってことね。

孫悦:うーん、運がよかったのといい曲に巡り合えたことよ。 やっぱり曲よね。もし別の曲だったら、倍の労力をつぎ込んでもダメだったでしょう。曲もチャンスも本人もみんな重要ね。

■歌手であること

石川:今、中国で歌手生活は大変?

孫悦:そうとも言い切れないな。 今特に北京には地方から出てきた歌手がうじゃうじゃいるわよ。私ももっと歌を勉強してうまくならなくちゃ。女優は続けたくない、大変だもの。 この業界は単にしんどいだけじゃなくて、人の顔色をうかがったり、あれこれ気を遣ったり、したくないこともしなくちゃならない。でもそれはみんな人様のため。どうしたら人様が喜んで、受け入れて下さるかって。それでこそうまくいくんだもの。

石川:今は何とかなってるとして、将来プレッシャーがもっと大きくなったら、やめちゃおうなんて考えたことある?

孫悦:時々ね。すごく忙しいと「もうやめた!」って。でもまだ目標の地位には達してないから、やっぱり頑張り続けなくちゃね。

石川:歌はあなたにとって?

孫悦:やっぱり私の人生の重要な部分を占めてるわね、生活の一部分。

石川:自分は芸術家だと思う?

孫悦:今はまだアイドル歌手にすぎない。芸術家の域に達するにはあと10年も20年も経験を積まなきゃね。

石川:歌うことで何を表現したい?

孫悦:歌や演技を通して、私の曲への理解を通して、ファンが求めている心の安らぎみたいなものを表現したいな。

石川:日本には行ったことある?

孫悦:いえ、日本の都市って物静かできれいなんだろうな、あと日本はテクノロジーが発達してるわよね。そんなイメージがあるわ。

石川:行ってみたい?

孫悦:もちろん、どこの国も行ってみたい。外国の生活とか、風習とか、色々見てみたいもの。

■夢は?

石川:夢は何?

孫悦:最終的な目的は、家族に幸せになってもらうこと。 もし家が裕福だったら、自分のためにこんな大変な思いして歌手なんかやらない。この業界は大変なだけじゃなくて、一生懸命やればチャンスが巡ってきて成功するってもんじゃないでしょ。プロモーション、テレビ、ファン……あらゆる条件が揃わないとうまくいかない――。

石川:中国には家族のためにっていう人が多いわよね。

孫悦:そうね、伝統的な観念は今でもあるわね。

石川:日本のみんなに何か一言。

孫悦:日本の皆さん、こんにちは。私は中国の歌手孫悦です。このインタビューを通して皆さんが私を知ってくださり、好きになってくださったら嬉しいです。日本へは行ったことがありませんが、今度日本へ行ったら日本のファンが待っててくださる、なんてなったらいいな。私は中国の歌手ですが、私の音楽と日本の音楽が溶け合ったらいいなと思います。では日本でお目にかかりましょう。 日本のみなさんの平穏無事をお祈りいたします。

(孫悦の所属するプロダクション「正大」のスタジオにて)

翻訳:中西文紀子



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