劉小東のアトリエ


文:野猫



 僕たちを乗せた面的(北京名物のミニバンタクシー)は、北京と天津を結ぶ幹線道 路をひたすら東南へ走り続けている。 城内を離れるとすぐ周りは農村風景だ。 案内の王易によれば大羊坊という所に劉小東のアトリエがあるという。

 劉小東、僕が彼の作品に出会ったのは、瑠璃廠の美術書店だった。 若手の洋画家の作品を紹介したシリーズをパラパラ捲っていて、手が止った。 透明感のある人物画、そこには中国の日常的な青春群像が息づいている。 彼にあってみたいと思った。

 中国の現代美術界では、90年代に入ってから「近距離」といわれる写実主義が流行している。彼はまだ33歳という若さだが、新世代を代表する画家として評価を確立、夫人の喩紅もその潮流の画家として有名だ。

 幹線道路を下りたところにジープが止っていた。 運転席にいるのが、劉小東だった。 彼のジープの後をついてゆく。 本当に農村の真ん中に突如、豪邸群が出現して驚く。 急造の別荘地らしく、開発中の工事現場が続く。 しかし、それらの別荘と周りの農村とのアンバランスは、際だっている。 凸凹の農道を暫く走ると先をゆくジープが止った。 高い塀に囲まれた敷地の中に、劉小東の自宅兼アトリエがあった。 若い芸術家夫婦の家。 この塀の内側で、彼らは、何を考え、どんな暮らしをしているのだろう?

 到着すると奥さんの喩紅が子供を抱えて出迎えてくれた。 広い敷地の中に瀟洒な2階建ての住居。 一階が、リビングと奥に寝室。 2階に上がると階段を挟んで二人のアトリエが別々にある。 高い天井、採光窓からは初夏の陽光がアトリエに差し込んでいた。 制作中の絵が数点、壁に立て掛けてある。

 劉小東、彼の創作活動とは一体どういうモノなのか? 僕が下手な説明をするよりも直接彼に語ってもらった方がよいだろう。

「・・・一人薄暗いアトリエで一枚のキャンパスに向かい合うとき自由を感じ、煙草に火をつけると、頭の中は冴え渡り、複雑だったものが単純なものへと抽象され下降してくる。 複雑な問題を単純化し、単純なものをより深く抽象させる。 これは人生に過程とよく似ている。抽象度の高いものが増えてゆき、必要のないものは失くなってゆく。

最初に絵を描いたのは、確か向日葵の絵だったが、11歳の時だった。 描き終わったとき、自分では上出来だと思った。 しかし、もっと大きくもっと美しい同級生の作品を見たとき、初めて自分が下手糞だと思った。 先生はまあまあの点数をくれたが、それは私の自尊心を傷つけまいとしたためだと悟った。 なぜなら、彼は私が既に傷ついたのを知っていたからだ。

ちゃんと絵を描き出したのは、中学二年のときだった。 その時はデッサンと水彩画を学んでいたが、画家を目指す人たちは、まだ、橋や、建物や、駅や、古い道具なんかを描いていた。 そのころ私は、物体にある「観念」や色彩の関係を凌駕することを知らず、ただ目の前にある物を正確に描けばいいと思っていた。

北京中央美術学院付属高校のころ、作文が苦手だった。 香山に散文を書きにいったときも書けなかった。 そのとき、同級生の書いた散文を見てとても感動した。 そして、有名な「散文」だけが散文なのではなく、身近にあるものも「散文」だということに漸く気づいた。 ただ視線を低くし、心の目で見ていれば、自分の言葉で自分の心を表わせる。 難しいことは何もない。まさに「悟性は足下にある」ということだった。 夢から醒めたような気がした。

夢から醒めて10年余りが経ったが、今でも心の中はあのころと何の変わりもない。 「三歳で大きくなり、七歳で世間を知る」ということわざは、まさに理に適っているのだろう。

この世界はとても大きく、とても複雑だ。
しかし、基本は一つ一つの「家」である。 だから、筆、絵の具、キャンバスというシンプルな道具で人の感情を表現することが私にとっては一番だ。 私の描く人々は時には座り、時には立ち、時には抱き合い、時には疎ましくしている。一人一人がどうなっているのかなんて私にはわからない。 一人一人が見る世界なんて違うし、世の中の出来事だって同じことで一口に説明することなんてできない。 世の中を見通す力なんて私にはない、絵の中ででも言い尽せないこともある、「あいまいさ」という言葉が好きなのだ。

私は直感を信じ、求めているのは真実だ。 具象画の形式で人と現実を描くこと、この人と現実はすべて私個人の内面の屈折にすぎない。 これがすべての人々、過去や未来と重なり合っていること、それが私の妄想である。

以上が、私の絵についての説明であるが、私にとっての芸術的言語の魅力は、絵の具によって初めて明白になるもので、この芸術表現言語こそが画家にとって最も重要なものなのだ。」

(広西美術出版社・中国現代芸術品評叢書「劉小東」自述より)


実際にあった彼は、気さくな人柄で、今描いている作品のことや、生活のことなど をざっくばらんに話してくれた。

「今の生活には満足しているよ、かなり上手くいっている。運がよかったんだろうね。 教師を続けながら、自分の好きな絵を描く、それで年に数点海外のバイヤーなんか が買ってくれればそれでO.K.さ。 日本にも僕の作品は一つあるはずだよ。確か、福岡の美術館が買ったからね。 福岡へ戻ったら、僕の作品が展示してあるかどうか観てきてよ。」

喩紅に、聞いてみた。
芸術家が二人で暮らすのって大変じゃない?

「そうでもないな、大変なのは子供。 赤ちゃんが生まれて、お母さんになったってことの方が、重大な変化ね。 子供って手間が掛かるでしょ、絵を描く時間が少なくなったわ。 でもね、すごくいい影響を私に与えてくれるのよ。」

確かに、彼らは才能にも恵まれ、幸運にも恵まれていたのに違いない。 既に、三十代の若さで成功を手にいれた彼らは、これからどんな作品をこのアトリ エから産み出してゆくのだろうか?





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