中国紀行・ラサ 俗化進む聖都

 中国で最も外国人が「目立つ」都市はどこか?北京や上海は、確かに外国人の数は多いが、やはり圧倒的な中国の「老百姓」(庶民)の海に埋没してしまっている。「目立つ」という点では、さして大きくない街のあちこちをバックパッカーがうろついている、チベットの首都ラサが一番だろう。時には、寺院前で恍惚として礼拝をする西洋人さえいたりする。

 全体が「世界の屋根」といわれる高原にあるチベットは、中心地のラサでさえ富士山とほぼ同じ標高がある。中国本土からは飛行機か、標高5000メートル以上を走るバスしか手段がない。そして、頭痛、吐き気を伴う高山病を克服できれば、荒涼たる山が連なる自然と、わずかな平地と緑に頼って生きているチベット人の暮らしを見ることができる。そして、何よりもラサが世界中の観光客を魅きつけるのは、ここがかつては満洲やモンゴルにも広まったチベット仏教の信仰の中心地であり、現在もそれがチベット人の生活の中に息づいているためだろう。

 かつて中国軍に祖国を追われて、現在はインドのダラムサラに亡命中のダライ・ラマの居城であったポタラ宮は、ラサ市街中心の小高い山の上に位置する。ラサ市街はここを基点に、ラサ河に沿って東西に広がっている。チベットの各地方、それに遠くは中国の四川省や青海省のチベット人地区から来た巡礼は、宮殿前広場でよくポタラ宮に向かい「五体投地」の礼拝をしているが、実際の信仰活動は市内のトゥルナン・ツクラカン(ヂョカン)、郊外のセラ、デプンといった寺院群で盛んである。

 市街北東の山の麓にあるセラ寺。ここの中庭では毎日午後3時ころ、修業の一部として、庭で僧どうしによる問答が行われる。何十人もの僧が2〜4人くらいずつに分かれ、手を叩きながら問答をするため、うるさいくらいの迫力だ。赤い法衣を着けた修業僧たちは、観光客に慣れっこになっているため、気にする様子は全くない。寺院内に安置された仏像を見て歩くと、チベットの寺院に共通する、灯り用のバターの匂いが漂う。仏像の前などは、中国政府により公式の場では禁止されている、ダライ・ラマ14世の写真が飾ってある。チベット仏教において、代々転生を繰り返してきた活き仏とされるダライ・ラマは、政治がどうなろうと、やはりチベット人にとってかけがえのない心のよりどころなのだろう。

 こうした寺院は、かつてはチベット全土で数千あったとされるが、文化大革命中など中国人(漢人)により、貴重な仏教芸術とともに大半が破壊され、僧も多数遭難した。市西北のデプン寺、そしてラサから離れたガンデン寺などでは、こうした廃墟を見ることができる。

 チベット人の関心がなぜ経済などではなく、こうした信仰に向かったのかは、実際にチベットを歩いてみるとよく分かる。空気が薄く、気候の厳しいチベットでは、農業などで努力すればするほど収穫が増えるといった、中国やヨーロッパのような条件は存在しない。そして、神が住むがごとき雄大な山々を、薄く、きれいな大気を通して間近に見ていれば、否応無しに精神世界への関心が深まるだろう。

 とはいっても、現在のラサは取り澄ました宗教都市では勿論ない。市街東部のパルコル(八角街)では、住民のほか巡礼、観光客を目当てにした露店が道路を埋め尽くし商売に忙しい。ここはチベット人と商才にたけた回族(イスラム教徒の漢人など)によって仕切られ、漢人の姿は少ない。逆に市街の西には、中国から移住してきた漢人が多く住み、漢字の看板も増えている。ポタラ宮前広場の「労働人民文化宮」は、ディスコ「JJ」に化けている。

 街を歩く僧も、法衣の下はスニーカーを履いているかと思うと、ある寺ではスズキのオートバイに楽しそうにまたがっている僧もいた。しかし、こうした俗っぽさこそが、仏教が今でも人々の暮らしの中に溶け込み、依然としてチベット社会の中心をなしていることの証明のように思える。

文:小東夷





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