戴士和
DaiZhihe



略歴



1948年北京生まれ。
1959年11歳北京市西城区少年の家の絵画教室で絵の勉強を始める。学校では壁新聞をかく。家ではデッサン、模写を重ねる。よく映画を見ていた。
1961年13歳北京景山少年宮絵画教室で、石膏デッサン、水彩による静物、風景画の構図を練習する。家では大量にスケッチ、記憶画を描く。油絵を試みる。学校では黒板新聞をかく。
1964年16歳光と起伏凹凸の法則をまとめる。
文革期間、エイゼンスタイン等の映画理論書を読み、創作と思考の統一に夢中になる。現代絵画思想に触れ興味を抱く。文革ポスターや記念バッチのデザイン、舞台美術を手掛ける。
1968年工場労働に従事。
1971年23歳宣武区文化館組織のアマチュア創作活動に参加。工場風景を数多くスケッチし、線を用いない陰影のみによる群像スケッチを試みる。また、旧ソ連画家の油絵材料とテクニックに関する本を借り受け、ほぼ全篇を書写。色彩が相対的に独立した課題だと知り、風景の小品を試作するが成功に至らず。人体構造のことを耳にするも学ぶすべをもたなかった。工場の商品カタログの表紙や黒板新聞、会議スケッチ、自分の左手、周囲の人々などを描く。
1973年25歳北京師範学院(現首都師範大学)美術系に入学。デッサン、スケッチ、グワッシュを主に、水墨、油絵も併せて学ぶ。課外時間に教師に教えを乞い、友人とスケッチ、色彩に特に関心を寄せる。課外の収穫は時に授業中より大きかった。この頃より旺盛なスケッチ旅行や視察旅行を始める。
1976年28歳卒業後、同学院にてスケッチ、創作を教える。
1977年29歳黄河沿いの晋陜峡谷にて写生。スタニスラフスキーの創作と教え、感覚と理解を一体化した体験を読み深く傾倒する。ほとんど毎日彩色スケッチを続ける。
1979年31歳中央美術学院油絵系壁画研究クラスに入学。人体のデッサン、油絵及び肖像、壁画のテクニック及び材料、構図構成などを中心に学ぶ。創作の傍ら理論を学ぶ、特に現代美術諸流派の学習に力を入れる。
1981年33歳修了後同学院に留まり84年まで民間美術系、後88年まで壁画系にて教鞭を執る。この間、創作の傍ら美術理論界に次々現れる問題に注意を払い、独立思考によって説得力のある解答を見出そうと努める。創作では壁画制作の他、油絵小品に立ち返り、自分の感性にふさわしい油絵言語を模索した。
1988年40歳旧ソ連の美術学院にて89年まで研修、この間に二度訪英、フランス旅行、オドゥロン国際油絵シンポジウムパネラー参加等を経験。ソ連、欧州滞在中、名作研究を重ねる。
1990年42歳帰国後中央美術学院油絵系にて教鞭を執る。
1993年45歳中央美術学院油絵系第二アトリエ主任。



WORKS


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