内田 吐夢
(監督 1898〜1970年)

 岡山市生まれ。中学中退後は工場勤め、大正活映で監督助手、牧野教育映画では俳優、旅役者等の遍歴を経て、27年日活京都作品「競争三日間」で監督デビュー。その後「生ける人形」(29年)「人生劇場・青春編」(36年)「土」(39年)等で社会派作家としての地位を確立する。一時期、中国に渡るが帰国後「血槍富士」を皮切りに次々と晩年の傑作を発表していく。すなわち「大菩薩峠」三部作(57−9年)「宮本武蔵」五部作(61−5)などの連部作、「恋や恋なすな恋」(62年)などの恋愛映画、そして被差別者の立場から描かれた大作「飢餓海峡」(64年)等を生み出していったのである。これらの内田作品はまだ十分に紹介されてはおらず、国際的な評価を受けてはいないが、日本を代表する監督であることは言うまでもない。
−主な作品−
「競争三日間」「生ける人形」     
「仇討選手」「人生劇場・青春編」   
「裸の町」「限りなき前進」      
「土」「歴史」「鳥居強右衛門」    
「血槍富士」「たそがれ酒場」     
「大菩薩峠」三部作「宮本武蔵」五部作 
「浪花の恋の物語」「花の吉原百人斬り」
「恋や恋なすな恋」「飢餓海峡」    
「人生劇場・飛車角と吉良常」